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    11/20/2008

    筑豊炭礦誌

    また、最近購入した本の紹介である。ご容赦願いたい。この本は我が故郷筑豊の炭坑の現況をまとめ上げた、なんと明治 31 年発行のものである。『著者兼發行者 高野江基太郎』というちょっと気を抜くとどこまでが名字なのかを見失いそうな名前である。また『定價金壹圓七拾五銭』とある。いったい現在の貨幣価値でいくらなのだろうか。

    ちなみに、私が入手したのはもちろん原版ではなく復刻版である。昭和 56 年発行とある。しかし、『限定参百部』の文字がうやうやしく書かれており即買いと相なったのである。

    この本も例によって Amazon で調べてみると、同じ復刻版が見つかった。しかし、\49,600 より、とある。私は東京は神田神保町のとある古書店で \3,000 で見つけた。この価格も即買いさせる充分な条件であった。なぜこんなに安いのかと言うと、もちろん落丁やひどい汚れ等はなく本自体の程度はよいのだが、元々某企業が所有していたものらしく、背表紙には図書館よろしく管理番号のシールが貼られ、後見返しは所蔵していた部署の印鑑がでかでかと押されているからと思われる。中身さえ程度がよければ充分な私にとっては全く問題なくお買い得であった。

    このような本を入手しようとしたきっかけは『第一次筑豊・北九州計画』と題打って行った廃線跡等の近代化遺産の現地調査(まぁ、所詮見に行っただけとも言えるが)であった。筑豊の廃線跡を追う者にとって避けて通れないのが炭坑 or 炭礦 or 炭鉱である。かつて全国でも稀にみる密度で張り巡らされていた筑豊の鉄道網はもとはと言えば運炭線として建設されたものがほとんど全てと言えるのである。従って、その歴史は炭坑と共にあるのであって炭坑の歴史を追わなければ鉄道の歴史は中途半端な把握となってしまうのである。

    じゃぁ、市史とか見ればええやん、となるがなかなか図書館に行けないのでこのような本を探したのである。この復刻版の冒頭に復刻版発行にあたっての『解題』として、以下のような記述がある。

    『筑豊炭礦誌』は筑豊石炭礦業の歴史を研究する者がまず最初に熟読、検討しなければならない古典的な著書と云ってよいであろう。たんに筑豊に限らず日本石炭礦業史の研究のためにも決して看過すべからざる文献であることは云うを俟たない。しかし今日流布するところは少なく、若い研究者には入手困難で、共同研究等においても常に不便を感じさせるものであった。

    そして限定 300 部が復刻されたのである。それを \3,000 で入手できたのである。内容は非常に面白く、筑豊地方の石炭の分布や石炭の質に始まり、はたまた各炭坑個別の出炭量や設置されている機器のスペックから労働者数やそのの賃金、さらにはその生活環境までが克明に記録されており、非常に有益な内容となっている。一応もう一度言っておきたいが明治 31 年発行である。そしてたった一枚だけだが、当時の筑豊地方の鉱区や鉄道網を示した地図が含まれているのである。これも欲しかった資料のひとつである。いつか上述の現地調査の報告を GNR にアップする際にお目にかけたいと思っている。鬼のように字が小さく現物を肉眼で見てもかなり読むのに苦労するため『見える』ものになるのかかなり不安ではあるが、以前の記事で用いた手法でなんとかしてみたいと思う。

    ところで、『最初に熟読』すべきこの本は本篇が 735 ページにわたる大作である。この資料とあわせて筑豊地方の関連する市史等もいつかは挑戦しようと思っているが、果たしていつになることやら。

    写真は石炭輸送華やかなりし頃の名残であろう、JR 九州筑豊本線筑前植木駅構内に残る煉瓦橋脚跡(橋梁名未確認)である。ちなみにここは私の思い出深い故郷の駅である。

    JR 九州筑豊本線【筑前植木駅構内煉瓦橋脚跡】

    11/12/2008

    16,031cc

    かれこれ 20 年以上前のこと。あれは確か中学校の修学旅行だったと思うが、貸切バスに乗ってみんなで移動していた。そしてどこだか忘れたがある目的地に着いてバス(筑豊地方の学校なので当然西鉄バス)を降りた時、私は乗っている間気になっていたことを清水の舞台から飛び降りる覚悟でみんながバスから離れた後運転手に質問をぶつけた。

    『このバスって何 cc ですか ?』

    そう、エンジンの総排気量である。こんなデカい車何 cc なんだと皆目見当もつかず悶々としていたのである。そして運転手はやさしく答えてくれた。

    『16,031cc やね』

    それを聞いた時頭の中では『?!』であった。今どきであれば乗用車でも普通に 3,000cc とか 4,000cc とかあるが、当時は 3 ナンバーと言えば『や○ざ』という認識(イメージ)であり、大体 2,000cc 以上は想像を超える世界であった。当然その驚きは表情に出ていたようで『嘘じゃないよ』みたいなことを言われ、バスの最後尾に連れていかれてエンジンカバーまで開けて諸元の書かれたシールを見せてくれた。そこには確かに 16,031cc と書かれていた。スカイライン 2000GT の 8 台分である。心底たまげたし、そんなところをわざわざ見せてくれたのがとても嬉しかったのをとてもよく覚えている。そのかわり肝心の修学旅行はあまり覚えていない。

    こんなことをついさっき思いだしたのだが、我ながらよくこの数字をいまだに覚えてるなと変な感心をすると同時に、こういうどうでもいい質問にさくっと正確な回答をしたあの運転手もすごいなとさらに感心した。きっとタイヤの空気圧も正確に答えれたのではないだろうか。普通の人はそんな正確な排気量なんて気にもしないだろう。やはりバスの運ちゃんはバスが好きなのであろう。そう言えば、私が結局 3 台も買ったホンダの NSR 250R はいわゆる 250cc のバイクだが、正確には 249cc だったと記憶している。私もあの運ちゃんと同じような人間なのだろうか。

    そう言えば、今時のハイデッカーのようなデカいバスは何 cc だろう。

    [写真と本文は一切関係ありません]

    JR 東海東海道新幹線【東京駅】にて