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    2/27/2009

    さくら

    このようなタイトルでもなんと鉄道に関する話題である。そう聞くとご存知の方は『ブルートレインかい?』と思われる方も多いと思うがそうではなく、新幹線に関するものである。

    2011 年春に予定されている山陽・九州新幹線の直通運転列車の名称が『さくら』に決まったのである。詳細はリンク先をご覧頂くとしてここではぐだぐだと個人的感想を述べさせて頂きたいと思う。

    私にとっても列車名称としての『さくら』とは子供の頃何となくいつか乗ってみたいと思っていたブルートレインのことだった。小学生高学年の一時期、例えば DD51 + 50 系客車とかに乗って筑豊本線筑前植木駅から鹿児島本線小倉駅まで毎週塾に通っていた。朝イチ小倉駅に着き少し経つと『さくら』が入線してくるのでそれを見るのも楽しみの一つだった。毎週毎週欠かさず見てたわけではないが時々見ていた。

    我が筑豊本線は当時非電化であったため、私にとっては電気機関車を見る貴重な機会だったのである。日頃聞き慣れた DD51 のディーゼルエンジンとは全く異質の唸りが新鮮だったのを印象的に覚えている。ある時ブルートレインにはそれぞれの列車ごとだと思われるがスタンプが存在することを知った。そこで意を決してある朝、機関士か車掌だったか(曖昧な印象では機関士)に思い切って『スタンプを押してもらえませんか』と直談判を試みた。その結果なんと OK 。慌ててノートか何かを取り出して押してもらった。感激した。今そのようなことは叶う時代だろうか。

    その時は子供心にも『乗れる機会なんてないよな』という思いから突撃しただけに『これは本当は乗らないともらえないだろうものをわざわざくれたんだ』という思いを持った記憶がある。その『さくら』も既に廃止になっているし、結局乗ることは叶わなかった。あのスタンプもその後の度重なる私の引っ越しで行方不明となってしまった。

    来月 2009/03/14 の JR のダイヤ改正ではさらに東京駅発着のブルートレインが全廃となる。あの頃小倉駅で見た『さくら』を思い出すと何となくさびしい気持ちにはなる。しかし、これも時代の流れなんだと思う。

    ところが、そのなくなる一方のブルートレインのしかもあの『さくら』が列車名称として復活するのである。さらに少々パワーアップして新幹線として。名称の一般応募中最も多かったものなのだそうだ。この名前にいろいろな意見があると思うが私個人としてはこの列車名称を素直に歓迎したい。ただでさえ無機質になりつつ今日の鉄道車両にこのような『和』テイストの名前が付与されるのは素晴らしいと思う。もちろん既存の新幹線列車もそうなのであるが、ひさびさにお国に絡まないものとなったようにも思える点も歓迎したい点である。

    運転が始まってフィーバーが一段落したらぜひ小倉駅で見てみたい。子供の頃は地平ホームで電気機関車のヘッドマークに鼻息を荒くしていたが今度は高架ホーム上で N700 系の LED 表示でその名目を見ることになる。まさに隔世の感ありである。でもまた小倉駅で『さくら』に会えると思うと嬉しい気もする。

    東京に上京してそこそこ年数が経つので小倉駅自体が既に懐かしい対象であるが、昨年 第一次筑豊・北九州計画 - Windows Live とか銘打っていろいろ見に行った際に小倉駅にも久しぶりの再訪を果たした(ブルートレインは見てないが)ので駅自体ではなく次は『さくら』を見に行きたいと思う。

    やはり春に行くべきだろう。それはやはり桜の季節だから。ただ私にとっては花粉症の季節でもあるが。でもその前に期待薄ではあるがあのスタンプも捜索してみたい。

    なお、この『さくら』の発表直後のためか JR 九州のサイトはアクセス不能となってしまっているので公式発表の画像等の紹介が残念ながらできない。

    2/17/2009

    鞍手郡誌(昭和 9 年発行版)

    またまた本の紹介である。というより散財の記録とも言える。現在私は都内に在住しているため時折いわゆる古書街である神田神保町へと向かう。お目当てのお店は決まっていて、鉄道関係の古書の豊富なある二軒の書店を巡回している。

    通な方ならお店の人にいろいろ聞いたり、お目当ての本の入荷のお知らせをお願いしたりするのだろうが全くの古書店素人である私はひたすら店で探すのみである。それもまた苦しくも楽しいものである。

    今回購入したのはタイトルにもある通り『鞍手郡誌』である。そしてタイトルにもある通り昭和 9 年発行のものである。かなり古い。しかも復刻版ではない。ハッキリ言って紙もかなり『風化』している。されどこの古さは売れてしまったら再びお目にかかるのはいつになることやらと不安に感じ \18,000 というこれまた大いに悩める値段に悶々とすること数十分、ついに意を決して購入した。発行は『鞍手郡教育會』とのことである。ちなみに国立国会図書館で検索すると復刻版は \12,000 という表記があった。うーむ。

    ところで、『鞍手郡』とは我が故郷福岡県のとある郡の名称である。そして私の育った現直方市はかつて昭和 6 年までその鞍手郡に属していたのである。さらに余談だが私が住んでいたのは現直方市植木と呼ばれる地区であるが、ここはさらに昭和 30 年まで鞍手郡であり最後に直方市に編入されたのである。

    従って、私のように鉄道を切り口として我が国の近代化の痕跡を追おうとする者にとって、特に直方市植木周辺となると『筑豊炭礦誌』と共に重要な一時情報源となり得ると判断し今回も懲りずに散財を決意したのである。あとは『直方市史 補巻(石炭鉱業篇・直方石炭鉱業史)』があれば鬼に金棒だと思っている。しかしこれまたお金がかかる。。。

    鞍手郡誌(昭和 9 年発行版)

    鞍手郡誌(昭和 9 年発行版)

    具体的に例えば何を追っかけているかは次のリンクをご覧いただきたい。これらはゆくゆく私の本サイトである GNR になんちゃって調査報告書としてご紹介する予定のものである。

    第一次筑豊・北九州計画 - Windows Live

    少し補足すると、我が直方市植木(正確には直方市大字植木でありかつての植木町)にもいわゆる筑豊地域のご多分に漏れず炭坑があり、その歴史は明治時代に遡る。それは以下のような旧版地形図により明確な事実として目の前によみがえる。

    ※残念ながら当ブログには埋め込めないためリンクでご紹介したい。地図が表示されない場合はアイコンをクリックし、Microsoft Silverlight プラグインをインストールして頂きたい。インストール後はズームや移動が自由に行える。

    PhotoZoom

    国土地理院 1/10,000 地形図「直方」(M34 発行)

    筑豊地方の場合石炭の輸送は当初遠賀川による水運であったが、明治中期以降は鉄道にその主役が移っていくこととなった。そしてその運炭線は首都圏に匹敵するとも言われるほどの稠密さを誇ったのである。

    ということは、廃線や炭坑の遺構等の近代化遺産とも呼ぶべき痕跡がわずかかも知れないが残っている可能性があり、それをこの目で確かめるのである。上の地形図でも現存しない線路が記載されていたりするのである。確かめてどうするとかではなく、『確かめたい』のである。炭坑に限らずかつてそこに『何か』があった跡にはその存在を知らなくても何となく地形やその場所の雰囲気にちょっとした『違和感』を感じるものである。それが子供のころには『違和感』に必ずしも至らないにしても大人になってその風景を思い出すとき、その『違和感』は明確な印象となって現れる。そしてそこに『?』が生まれ、『確かめたい』となるのである。

    いつまで経っても家が建たないだだっ広い空き地。トンネルを開削したような地形。閉ざされた門のある荒れた道や工場跡。不思議な形をした使われていないコンクリート構造物。そこには子供の頃何となく『近づいてはいけない』雰囲気があるものもあった。大人になるとそれらはますます『怪しく』感じられ、私の記憶とは異なる過去の本当の風景を知りたくなる。ましてや明治時代からの産炭地である。以前の記事でも書いた通り私の世代のように既に筑豊の全炭坑の閉山後に教育を受けている者は一時期我が国最大であった産炭地に生まれながら『炭坑』というものを全く知らないまま育ったのである。

    子供のころ草ぼうぼうで『秘密基地』を作っていた空き地がどうやらかつての炭坑の煙突があった場所であり、当たり前に通っていた道がかつての運炭線の跡であり、友人宅のそばに石炭荷役のための旧国鉄の貨物駅があったらしいというようなことをごく最近知ったのである。こうなるとそれらはいつできて、どのようなもので、いつ無くなったのかを知りたいのである。

    私がそのような思いで断片的な情報を頼りにいろいろなものを現地調査するものの GNR での報告が遅いのは、このようななるべく一時情報源に近い裏付けをとるのに時間がかかっているからである(ずぼらなだけでもある)。

    これからも懲りずにまったりとこのような文献調査や現地調査、さらにはなんちゃって報告書のお披露目を続けていきたいと思う。まったりとお付き合い頂ければ幸いである。

    2/12/2009

    重大運転事故記録・資料(復刻版)

    私はこれまでも何度か当ブログで触れてきたとおり、いわゆる鉄道趣味者(鉄ちゃん)である。しかし、これまた何度か触れてきたが通常そういうと『電車好き』と思われることが多いが私の場合はそうではない。

    どちらかと言うとその『電車』が走るまでの経緯やシステム(とりわけ鉄道構造物)が興味の対象である。もう少し格好つければ我が国の近代化のけん引役であった鉄道を通じ、我々現代を生きる者がともすると知ることのない先人の労苦や英知をほんの少しでも探ろうとするものである。

    ただ、私のおつむではそれを探ったところで何かの役に立つかどうかは別の話であるが。

    また、私自身がどちらかというと技術系の世界に身を置いていることもあり、そこに『技術の進歩』をも感じ取ろうとしていると思う。そんな切り口で鉄道を見るとき避けて通るべきではないと私が考えるのが事故の歴史である。

    得てして進歩の陰には失敗の歴史があるものである。ましてや鉄道のように物理的にも意味的にも巨大なものになってくると人命に関わる失敗の歴史はある意味必然となる。技術(だけではないが)の進歩はその失敗を二度と繰り返すまい、悲惨な事故を少しでも防ぎたいと言う技術者の血と汗と涙の結晶であると私は考える。

    かつて身を置いていた土建業では『ヒヤリ・ハット』と呼ばれる概念が存在する。『ヒヤッ』ともしくは『ハッ』とする体験や場面を繰り返すうちに大事故につながるので、そうなる前にそれらを抽出し対策を講じようとするものである。恐らく製造業でも機械を操作したりするので同様の概念が以前よりあると思う。

    近頃はそのような概念は以前に比べ大きなうねりとなっているようで技術系分野に特化はしているが科学技術振興機構(JST)と呼ばれる独立行政法人によるサイトも存在する。

    ☆ JST失敗知識データベース ☆ 科学技術分野の 事故や 失敗の 知識と 教訓

    このようなある意味『負の遺産』と取られかねない情報はこれまで我が国の『恥の文化』と『責任追及』等の概念によりどちらかというと隠され続けてきたものであろう。本当の意味での進歩とはこのような失敗の情報共有から意識の浸透、そして対策の充実という不断の努力によって形成されるものだと思う。ようやくこのような失敗の情報共有がなされ始めてきたのは素晴らしいことだと感じている。恐らく私の知らない分野でのこのような情報も増えつつあるはずである。

    鉄道に関しての最大の失敗は何と言っても人命に関わる事故、特に運転による事故であろう。何故運転かと言うと、あらゆるシステムの集合体である鉄道ではそれこそ駅舎建設中の事故やトンネル掘削中の事故等も発生するが、これらは鉄道そのものではないからである。そして、その運転事故に関して以下の条件に合致する運転事故を取りまとめたのが社団法人日本鉄道運転教会発行の『重大運転事故記録・資料』である。

    1. 事故のため旅客が死亡したもの。
    2. 旅客、職員、準職員、公衆の区別なく事故のため 10 人以上の死傷者があったもの。
    3. 20 両以上の脱線車両があったもの。
    4. その他特に重大と認められるもの。

    これを国有鉄道すなわち現在の JR 各社及び地方鉄道、軌道について事故の概要や原因等をそれぞれまとめており、その収録数は以下のとおりである。

    1. 明治時代:30 件
    2. 大正時代:92 件
    3. 昭和 1 ~ 61 年:539 件
    4. 国有前における地方鉄道重大運転事故記録:18 件

    昭和 61 年までとなっているのはこの書籍が 2005 (平成 17) 年 4 月に出版された時点での集計結果のためである。そして昨年 2008 年 12 月に、これらにさらに昭和 62 年~平成 19 年 3 月分を追補したものが出版されたのである。

    重大運転事故記録・資料(復刻版)

    ちなみに、私が育った直方には JR 九州筑豊本線が存在するため、ざっと見てみると最も古い事故記録は 1918 (大正 7) 年 3 月 17 日に中間駅にて発生した列車脱線事故とある。本書での記述を紹介したい。

     

    種別 列車脱線
    日時 大正 7 年 3 月 17 日 午前 9 時 10 分
    場所 筑豊本線 中間駅
    列車 汽第 906 列車
    状況 本列車到着ノ際停止位置ヲ行過ギ車止ヲ突破シ汽動車 1 軸脱線セリ
    死傷 旅客 12 名負傷
    原因 機関手ガ速度ノ調節ヲ誤リタルニ因ル

     

    なお、本書の冒頭『発刊にあたって』では以下のような文言が示されている。私も鉄道従事者ではないが襟を正し、日夜安全に取り組む鉄道関係者にエールを送りつつ、これからも鉄道構造物や廃線を追いかけたいと思う。

    将来とも鉄道の安全に携わる方々にこの記録が「温故知新」版として広く活用されることを願い、追補板を発刊するものであります。

    2/9/2009

    諏訪鉄山と鉄山鉄道

    2009/07/24 諏訪鉄山と鉄山鉄道(再掲) - Windows Live を公開しました。

    2009/06/25 GNR - 第四次山梨・長野計画にて現地一次調査を実施しました。

     

    諏訪鉄山跡地【石遊場(いしやすば)付近】
    諏訪鉄山跡地【石遊場(いしやすば)付近】

     

    長野県茅野市にはかつて諏訪鉄山という大規模な鉱山が存在していた。上の地図は同鉱山の最盛期に中心地であった『石遊場(いしやすば)』と呼ばれた地域である。現在そのかつての地名に由来する『石遊の湯』という温泉施設が存在している。

    また付近には『鉄山』という地名も残されている。

    地名『鉄山』

    同鉱山のそもそもの歴史は武田信玄の時代にまでさかのぼると言われているが、戦時中最も重要な軍事物資である『鉄』を調達するために本格的に開発された事実上軍事施設のような扱いのものであった。それゆえに終戦とともに操業を停止している。

    同鉄山は JR 中央本線茅野駅から東に約 10km ほど進んだところに存在していたが、終戦直前には茅野駅から鉄鉱石の運搬のため例によって突貫工事による専用線が敷設された。そしてそれは『鉄山鉄道』と呼ばれていたそうである。

    私はこの鉱山を、この専用線の存在を通じて初めて知った。そしてこの専用線は結局わずか半年ほどで終戦を迎え鉱山の操業停止に伴い廃止されたという。しかし現在も若干の痕跡をとどめているようであり、ブログ等でもお目にかかることが可能である。その痕跡をこの目で見てみたいと現在画策中である。そしてこの鉱山すなわち諏訪鉄山についても机上調査を始めたところである。なお、この専用線の大部分は現在長野県道 192 号茅野停車場八子ヶ峰公園線となっており、通称『ビーナスライン』の一部分を構成している。

    調査の過程で以下の書籍の存在を知った。

    1. 松谷和男著『諏訪鉄山』諏訪鉄山の歴史保存をすすめる会、2008 年 8 月
    2. 五味省七著『戦跡としての諏訪鉱山』諏訪郷土研究所、2005 年 8 月

    このうち、2. については別件の史料を調査しに訪れた原村図書館にて存在を知って購入を試みようとしてが定価が記載されていなかった。そのため通常の販売がされていないと判断し、巻末に記載されていた著者への連絡先へ問い合わせたところ、なんと著者本人とお話しすることができたが、100 冊のみ自費で出版したとのことでたちまちさばけてしまい、今後の増刷の予定もないとのことで購入は叶わぬ夢となった。

    しかし、じつはこの書籍は副題が『若者と語り合う史跡物語』となっており、『よろしければ、何年のお生まれでしょうか ?』と質問されたため『昭和 46 年です』と答えたところ、『そのような若い世代にぜひ読んだもらいたい』と、とても喜んでもらえた。内容はタイトル通りであり、戦争という非常に社会的な切り口で同鉱山を捉えた良書である。

    また、1. については茅野市内の某書店で販売していることを突き止めたが、同書店が富士見町にも支店があるためそちらへ問い合わせたところ取り寄せてもらうことができ入手できた。受け取りの際『これが最後の一冊だったようです』と言われ驚いた。ちなみに同書は第三版であるが、もう売っていないということになる。申し訳ないが私が最後の一冊を頂いたのである。これも内容は純粋に鉱山の解説云々ではなく、2. と同様に戦時中の同鉱山を取りまく様子を文献調査及び関係者への聞き取りを元に『メモ』としてまとめたものである。

    今後これらの書籍を基本に諏訪鉄山及び鉄山鉄道についての調査を進めていこうと思う。結果は例によっていつになるかあてにならないが GNR で紹介したいと考えているが参考情報をお持ちの方はコメント等頂けると幸いである。

    もう入手不可能な『諏訪鉄山』の表紙である。今後第四版が出版されることを期待したい。

    『戦跡としての諏訪鉄山』は国立国会図書館に存在するので興味のある方はぜひご覧いただきたい。著者の五味氏からは『東京だと恐らく国会図書館しかなかったと思う』とのことであった。

    国立国会図書館書誌情報『戦跡としての諏訪鉱山』