golgodenka's profileあなたの知らない世界PhotosBlogLists Tools Help
    7/30/2007

    顧客が本当に必要だった物

    最近知ったのだが世間にはこのような漫画が出回っている。
    要は『世の中なかなかうまいこといかんね』といったところだが、題材が IT 業界であり私自身もその業界に身を置いているので『そうそう !!』という感じで楽しい。
     
    どうやらこの漫画は数年前からあるようで、例によっていろいろパロディ物も出回っているようである。なんと『ガンダム編』とかもあるようである。Google で『顧客が本当に必要だった物』で検索するといろいろ出てくる。
     
    内容は仕事として普遍的な意味も含んでいると思われるので、ぜひご覧頂きたい。
    7/24/2007

    京急三崎口駅

    京浜急行電鉄、通称「京急」は日本で三番目の、また関東では最初に開業した歴史ある電気鉄道である。

    だが、今回はそれ以上別に歴史を追うわけではない。

    現在久里浜線と呼ばれる事実上の本線(正式名称が本線は別にある)のような支線の終端駅について少しだけ触れたい。

    この駅はまさに静かな終着駅と呼ぶにふさわしい、いい感じの静かな駅である。しかもこの駅を含む区間は単線である。あの快特の終点にも関わらずである。

    ところが、実はというか恐らく京急の目論見としてはここが終点ではないらしい。

    写真を見て頂けると一目瞭然であるが、駅より少し先まで道路をくぐって先まで線路が延びている。専門用語で言うところのボックスカルバート(多少不安)により延伸しているのである。

    過日、勢いで「京急八十年史」を購入した私としては、この先どのような計画が存在している(or した)のかを調査してみたいと考えている。

    個人的な全く適当な予測としては現在単線区間でも事足りている状況から、今後同駅周辺の宅地化のさらなる進展等により旅客需要の増大に備えたものであり直ちに延伸するものでないのではないかと想像している。

    そんな現在の長閑な雰囲気をもう一枚の青空の写真で感じて頂きたい。

    なお、京急はかつては都心乗り入れ策としてかつては品川(現在駅とは道路向かいにあった)から青山方面への延伸を計画していたこともある。

    7/18/2007

    道路不通区間

    取り留めのない話題をまたひとつ。 

    都会に生まれ育った方にはあまり馴染みがないかも知れないが、道路とは本来つながってナンボなのではあるが中には尻切れとんぼや途中が歯抜けになっている場合もある。

    途切れてしまう理由はいくつか考えられるが、概ね以下のような類であろう。

    • 山越え等の難工事部分等が何らかの理由で着工が遅れそのままになった
    • 当初の計画と状況が変わり工事が中断した
    • 災害や旧規格道路あるため通行不可となった
    • 迂回道路や新道の建設で事実上の廃道となった

    他にもいろいろあると思うがよく分からない。

    このような例として我が故郷である筑豊地方にある県道 62 号北九州小竹線を紹介したい。下の地図がそれであるが、何故か目盛りが meils (マイル)になっているのは無視して頂くとしてこの尻切れとんぼの県道は実は直線距離にして約 20km 程先に再び地図上に現れるのである。

    その間は道のうねうね具合から想像するとおり山間部である。まぁ確かに完成している区間でもこんなうねうね道なのでこれからさらに山に入っていくのは大変だろうなとは容易に想像がつく。そして山のかなり向こうに同じ 62 号線が復活するのである。

    しかーし !

    そもそも何故こんな所に道を通す必要があったのかが疑問である。大体北九州と小竹を何故にこんな険しい山を険しい道で直結しなければならなかっただろう。

    ちなみにこの道は何度か訪れたことがある。そして下の地図で線として表示されている部分までは地図どおりのかなり険しい道ではあるが舗装されているので車で行くことは可能である(と言っても実はふもとにゲートが一応あったりするが)。

    実はこの県道は線で表されている先は未舗装道路が続いている。しかし路面は激しくえぐれ、オフロードバイクかマウンテンバイクか四駆じゃないと通行不可である。ただし、マウンテンバイクは舗装部分で既に心臓が破れると思うが。

    そのため実際にはどこまで道としてつながっているのか、いつかこの目で確かめてみたいと思う。ちなみに舗装部分の最奥地点は眺めが良く、筑豊地方のかなりノスタルジックな夜景を楽しむことが可能である。

    次は関東地方というか多摩方面の方にとっては馴染みのある日原(にっぱら)を通る道である。

    この道は日原街道と呼ばれ、都内にある鍾乳洞として有名な日原鍾乳洞へ通じる道である。ちなみに正式名称も『東京都道 204 号日原鍾乳洞線』である。

    下の地図で色のついた道路の終点付近にその鍾乳洞は位置する。

    この都道は地図でも分かる通り川に沿って道が作られており、もっと地図を拡大すると色のついていない道としてさらに山の奥地へと数 km 程分け入っている。

    どうやら林道であるようだ。そして地図で追っかけてみて驚いた。実はその細い(と思われる)道は少し北に上がった日原と書いてある場所付近まで延びているのである。

    何が驚きかと言うと、上の地図で真ん中にある日原トンネルの南に『日原』という地名が書かれており北端には『籠岩』という景勝地がある。

    下の地図ではその『籠岩』が南端にあるのだが、北端には再び『日原』という地名が登場しているのである。しかし地図で拡大してみても人家が見当たらない。そしてこのすぐ北はもう東京都と埼玉県秩父地方との境である。つまり尾根である。

    もう一度思い出して欲しいがそもそもこの道は『日原街道』である。

    ひょっとしたら、この道は本来この奥にある『日原』まで延びていた道なのかも知れない。つまり、人が住まなくなった終端部分が道路としてのグレードアップの恩恵にあずからなかった可能性はないだろうか。

    どこかでかじった情報ではこの地方は今でこそ東京都だが、元々は山向こうである秩父地方との交流が盛んであり東京方面がむしろ接触がほとんどなかったようである。

    この日原街道の尻切れとんぼにも奥深い歴史があるのだろう。それに一番奥の行き止まりの部分を見てみたい。

    このように道路の『端っこ』とか『中抜け』等の経緯や歴史を追うのも面白い。

    7/16/2007

    鉄道用語辞典

    ちょっと前に『詳解 鉄道用語辞典』なるものを購入した。一般的に辞典となると冗談や洒落っ気とは無縁のものである。

    ところが、この辞典は一味違っていた。例えば『セミクロスシート』ではひとしきりの説明の後に以下のような文章で締めくくられている。

    70 系電車の座席に座りたければ東急東横線の祐天寺駅前のカレー専門店『ナイアガラ』に行くとよい。

    いかがだろうか。

    あとがきには 100 年を超える日本の鉄道の歴史を鑑みた情熱を感じる。また、国鉄時代のいわゆる慣用句にも注力しているところが面白い。教科書的な部分と現場的な部分とが入り混じった人間味のある辞典だと思う。

    なかなか読みふけることができないが、ただ漫然と適当なページを開いて拾い読みするだけでも面白いので飽きない本である。

    当ブログの右ペインにあるブックリストにも掲載したので参考にして頂きたい(ここから買って頂いてもありがたい)

    また、冒頭のリンクも私の管理ページのものなので安心してご覧頂きたい。

    7/11/2007

    時刻表

    PC が『ポム』という音と共に死亡してから月日が経ってしまったが、ブログを再開させて頂くのでよろしこお願いしたい。

    今回は時刻表について全くもって取り留めのない雑感である。

    私はいわゆる鉄道好きではあるが、どちらかというと廃線探索というジャンルが何となく好きである。またどちらかというと構造物だったり歴史だったり、はたまた鉄道というシステムそのものだったりが興味の対象である。

    そのため、『乗る』という側面の知識はほとんど持ち合わせていない。つまり切符や列車名等はほとんど知らない。

    一応『キハ』とか『モハ』とか『セキ』とかそういうのは基本知識として持ち合わせてはいるが、たしなむ程度である。

    そんな私も最近は時刻表を購入している。ただ、見慣れているわけではないが。それでも見ていて楽しい。

    かの国鉄完乗を果たした一人である宮脇健三氏は、正確には失念したが『列車に乗っているのではない、時刻表に乗っているのだ』という言葉を残しているほど時刻表ととことん付き合った人である。

    ここまではたどり着けない境地だが、何となく気持ちが分かる気がしている。経済的にあまり余裕がないので時刻表を元に列車に乗りまくることはできないが、紙面でそれこそ脳内旅行はなるほど、できそうである。

    また、私の好きな廃線についての調査にしても現役当時の時刻表からの調査の切り口も面白そうである(とは言ってもなかなかそういうものが置いてある図書館に行けないが)。

    考えてみるとこの時刻表はかなり以前にスタイルが確立しているように思えるのに、現代の世界一複雑な運行システムを的確に表現しているのはすごいことだと思う。

    国鉄時代にはダイヤ改正ともなると全国の関係者が温泉宿に合宿して作り上げていたという逸話も何かで読んだ。

    それはそれで民間企業ではあり得ないようなかなり無駄な部分も含んでいたらし、く次第にそのやり方は廃止されたそうである。

    しかし誰が考えたのか分からない(いわゆる鉄道省とかかも知れない)が、現代にまで息づく仕組みを作った人達に敬意を表したい。

    時刻表として我々一般人の目に触れる前にはダイヤグラム(いわゆるスジ)や仕業表等の裏方の資料も多々あると思われるが、これらが全て手作業により作られていたのは驚嘆に値する。

    時刻表やそれを影で支える技術や仕組みをこれからはテーマの一つしても捉えていきたいと考えている。

    そしていつか以前にも触れた時刻表検定にも挑戦してみたい(難しいとは思うが)。