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    24/08/2009

    1/50,000 旧版地形図『クッタラウシ』(明治 29 年製版)

    当ブログやメインサイト GNR でもしばしば登場する国土地理院発行の旧版地形図であるが、日頃少しずつ買い漁っているものの一体合計で所有しているのかを数えてみたところ 139 枚であった。ケアレスミスによる若干の重複があるが、それにしても我ながらよくぞ集めたものである。なぜ『よくぞ』かというと、そもそもお役所なので平日 9:00 – 17:00 しか購入できないことと、1 枚 \500 という私にとってはバカにならないものだからである。

    つまり、サラリーマンの貴重な平日の休みのうちのいくらかをお役所通いに費やし、さらには現時点で \69,500 をつぎ込んでいるのである。しかし、廃線跡や旧道等の調査には必要不可欠であるため、今後も私なりに惜しみない投資を続けるつもりである。

    これら私が購入した旧版地形図のうち、最も衝撃を受けた一枚をご紹介したい。それは、現在北海道上川郡新得町と呼ばれている地域のものである。入手の目的は以下の現地調査に伴う机上調査用である。

    GNR - 第一次北海道計画

    GNR - 第二次北海道計画

    これらの現地調査の中で特に JR 根室本線旧線【落合~新得】のいわゆる狩勝峠越えについて、実は GNR にて以下の調査報告書を公開済みであるが、机上調査をさらに進めるために帰宅後旧版地形図を買い足したのである(現地に行く前にそうすべきであるが)。

    GNR - JR 北海道根室本線旧線【新得~狩勝峠付近】

    さらに言えば新得町には北海道拓殖鉄道や川西鉄道などの現存しない路線もあり、これらは現地調査としては宿題としているため机上調査を行っているところである。

    私はこれまで 1/25,000 もしくはそれ以上詳細な地形図ばかり購入していたが、1/50,000 のほうが先に全国統一で作成されたこともあって、最近は 1/50,000 の旧版地形図も購入するようになった。この中で新得町が含まれる図名もそのまま『新得』の大正時代発行のもの等を購入したが、国土地理院で発行された最も古いものは明治 29 年製版のものであったため、これもあわせて購入した。当時の図名は『クッタラウシ』である。

    『クッタラウシ』とは同町の前身である屈足(くったり)の由来となったアイヌの地名であり、同地域は明治 32 年山形県からの入植者により開拓が始まったとのことである。つまり、私が購入した最も古い旧版地形図はこの入植前の状態を示していることとなる。残念ながら当ブログでは埋め込めないため、リンク先にてご覧頂きたい。右側が明治 29 年、左側が大正 11 年発行のものである。

    DeepZoomPix - 新得町周辺

    いかがだろうか。明治時代の測量技術と大正時代のそれとの差もあるため、同じ 1/50,000 でも随分印象が異なる。しかし、私が最も驚いたのはこの地形図の中に町はおろか、道一本描かれていない。すなわち全て原野である。入植前なので当然ではあるが。しかも、ここで紹介しているのは我が家の A4 スキャナーでスキャンした部分のみであるが、実際には地形図全体に渡って原野のみなのである。しかも右書きでカタカナなので川の名前等が非常に読み辛い。

    しかし、この二つの地形図からも分かるように明治 32 年の入植以来わずか 20 年ほどですっかり町が形成されており、鉄道(根室本線)も敷かれているのである。なお、新得駅は明治 40 年開業である。ちなみに、現在は以下のような様相である。

    新得町周辺
    新得町周辺

     

    冒頭で述べたように新得町には廃止となった鉄道がいくつかあり、私もその調査のために同町周辺の地形図は相当数購入した。地図は見ているだけでも様々な発見があり、またある種の芸術作品のようでもある。まだまだ調査というよりはついつい眺めて楽しんでしまっていることが多いが、これからも当ブログや GNR でも地形図を用いた情報提供を少しずつ充実させていきたい。

    17/06/2009

    1/10,000 旧版地形図『四谷』(明治 43 年 3 月 30 日発行)

    最近とみに更新頻度のしょっぱい当ブログであるが、久しぶりに旧版地形図の紹介である。例によって少しずつ国土地理院に通って買い集めているが、今回は明治末期の千駄ヶ谷駅周辺を取り上げたい。何はともあれ地図をご覧いただきたい。ズームや移動も可能である。残念ながら当ブログには埋め込みが不可能であるため、以下のリンクよりご覧頂きたい。

    DeepZoomPix

    私のメインサイトである GNR をご存じの方ならおよそ想像がつく通り、廃線跡が主題である。

    千駄ヶ谷駅は甲武鉄道の途中駅として 1904 (明治 37) 年 8 月 21 日に開業している実は歴史の長い駅である。現在明治神宮外苑となっている場所は 1886 (明治 19) 年に開設された青山練兵場という軍事施設であった。そしてこの時代の主な物資輸送手段である鉄道が引き込まれたのである。

    甲武鉄道の新宿~牛込(現飯田橋付近)の路線開通は 1894 (明治 27) 年 10 月であるため、千駄ヶ谷駅は路線開業の 10 年後に設置されたことになる。そして、この青山練兵場への引き込み線には千駄ヶ谷駅開業以前に軍事用の停車場が存在していたことになる。その名はそのまんま青山軍用停車場と呼ばれているが、これが正式名称なのか後年つけられた通称なのかは未確認である。

    また、例によって軍事最優先であった(今もか?!)ため、甲武鉄道の路線選定にはこの青山練兵場に便利なように旧陸軍より要請があったようである。つまり、後からできた鉄道を青山練兵場に引き寄せたのである。いやはや、どんだけ偉いのかと。

    上の旧版地形図では同停車場名の記載はないが、甲武鉄道(現中央本線・総武緩行線)の路線の南側にある引込線の終点の少し手前にプラットホームとおぼしきものが描かれている。ここが恐らく青山軍用停車場だったのではないだろうか。

    また、青山練兵場と甲武鉄道の線路を挟んだ北側の軍事施設群とを結ぶ三本の跨線橋が確認できるが、現在これらのうち二本は現存しないが、唯一一本が『大番町跨線橋』として現存する。下の地図をご覧頂きたい。右にちらりと見えているのは信濃町駅である。

     

    JR 東日本中央本線(信濃町~千駄ヶ谷)【大番町跨線橋】
    JR 東日本中央本線(信濃町~千駄ヶ谷)【大番町跨線橋】

     

    現在の地割りから推測するとかつての三本の跨線橋のうち中央のものが現存しているようである。現存する跨線橋の構造物そのものがいつの建造かも含めてこの引込線跡を訪ねてみたい。と言っても地図で見る通り首都高によって見る影もないとは思われるが。

    このように旧版地形図は現在からは想像もつかない過去の風景を伝えてくれる貴重なスナップショットである。今回の件についても机上調査及び現地調査実施後 GNR での報告を長い目で期待して頂けると幸いである。

    02/06/2009

    1839 峰

    このタイトルだけで分かる方には全く無駄な記事であり『あなたの知らない世界』で無くなってしまうが、私にとってはつい数日前まで知らない世界であった。

    私はメインサイトである GNR に関連して近代化遺産というか産業遺産というかそのようなものを少しずつ訪れ、なんちゃって報告書として落書きを Web の世界に晒しているが、現地探索の記録の一部を地図サイトの機能を使って記録している。

    少々前置きが長いかも知れないがご容赦を。

    私の場合 Microsoft Live Search Maps というオンライン地図サイトを使用し、同サイトの『コレクション』という機能を用いて要は地図に『押しピン』や『線』を書き込み保存しちょっとしたメモを添え、記録しているのである。同様のサービスは Google Maps にももちろんあるので興味のある方は好みに応じて覗いてみて欲しい。

    ちなみに、Microsoft の同サービスはおととい 2009/06/01 よりブランドを一新し Bing Maps というちょっと理解に苦しむしっくり来ない名称に変わってしまった。どうやら日本語で言うところの『ぐぐる』のように動詞として世間に浸透しそうなネーミングに変えたそうである。『びんぐる』?! どうかなぁ。。。

    ちなみに、Bing Maps への移行に伴い、私のいくつかの『コレクション』の一部の日本語データが文字化けしてしまった。どんなテストやってんだ ? > Microsoft。私は比較的熱心な Microsoft ユーザーだし、めげずに使い続けるがマルチバイト言語圏を見くびってもらっては困る。都合のいいきれいな言葉を並べて、頼みもせんのに勝手にいじくって尚且つ勝手に私のデータも一部とはいえパーにせんでもらいたい。本田宗一郎に言わせれば、『自分だけの都合でものを言わんでもらいたい』ということである。今回の移行で同様の経験をした方は私以外にもいらっしゃるだろうか。

    それはさておき、先日はもう三年前に訪れた北海道での現地探索の記録を GNR - 第一次北海道計画などと勝手に命名し整理していた時、『それ』に気づいた。そう、『1839 峰』である。下の画像をご覧いただきたい。なお、この画像をクリックすると『びんぐる』(ちょっと違うか)ことが可能であるのでお試し頂きたい。

    地図画像

    赤い押しピンの少々南にあるのが確認頂けるだろうか。そう、山の名前なのである。一番南にあるのは『襟裳岬』であり、いわゆる北海道の背骨である十勝山脈の真っただ中である。正直最初に気が付いた時には目を疑った。ご覧の通りこれくらい広い範囲の小縮尺での地図表示の際には主な山の名前しか表示されないため、数字が表示されることは想定していなかったからである。

    ほんとにそんな名前はアリなのかとも思えるが、同峰は 1842m の標高を誇り、数多くのブログ等でも取りあげられる有名な山のようである。と、ちょっと待て。名前は『1839 峰』で標高は 1842m ってどういうことか。どうやら、察しの通り当初は標高が基づきそう名づけられたようだが再測定した結果少々名前とは異なる数字が出たというのが真相のようである。

    ところで、この名前は読み方は知らない人には全く想像がつかないであろう。私も当然そうであった。

    『いっぱさんきゅうほう』

    もう、天晴れである。日本人ならでは発音しやすい読みそのままである。私は山に関しては門外漢であるため、これ以上の情報は持ち合わせていないが地図にはまだまだ気が付かない発見がてんこ盛りあるはずで、眺めるだけでも楽しい。

    皆さんもぜひ子供の頃『エロマンガ島』とか、『スケベニンゲン』とかを見つけては嬉々としていた懐かしい思いをハイテクの最新地図でよみがえらせてはいかがだろう(これもちょっと違うか)。

    16/05/2008

    1/20,000 旧版地形図『直方』(明治 34 年製版)

    2009/04/15:PhotoZoom の DeepZoomPix への移行に伴い記事中のリンク先を修正しました。

    廃線跡や旧道、それに産業遺構等を調査する際にはもちろん社史や市史等の資料が一時情報源となり得るため非常に重要である。

    しかし、私のようなしがないサラリーマンの場合これらの資料を精査するのはなかなか難しい。なぜならば図書館に行かなければならないからである。貴重な週末の休みは日頃の疲れをだらだらと癒すか、どこかに現地調査に出かけてしまう。

    そんな資料に乏しい状況の中、非常に有益な資料として忘れてはならないのが国土地理院発行の旧版地形図である。この旧版地形図はその名の通りこれまでに発行された地形図であり、私のように過去を調査する上で欠かせないアイテムである。そのため数十枚は所有している。ちなみに、所有とは謄本(コピー)を持っているという意味である。各旧版地形図は一枚 \500 から謄本として入手が可能なのである。

    ただし、最大の欠点は実際に謄本を得るためには国土地理院に平日に訪れなければならないのである。従って私は貴重な平日の休日のいくからを国土地理院への訪問に捧げている。実はオンライン申請も可能だが地形図を図番で指定するのみで画像を閲覧できないため欲しい地域がどの地形図に含まれているかが分かる自信がない方にはお勧めできない。個人的にはさらにオンライン申請は一度経験したが、ハッキリ言って使い辛いことこの上ない。

    少々専門的だが Java ベースのアプリケーションのインストールが必要だし、動作保障の JRE のバージョンは古いし、画面デザインは最悪でお役所の人達が日頃紙で取り扱っている帳票を自分たちの都合のいいように中途半端に画面にしたようなものであり、利用者(国民)のことなどまるで考えていないとすら思える。興味のある方はチャレンジしてみて欲しい。

    そんな愚痴はさておき、今後当ブログではこの苦労して手に入れた旧版地形図を見ていて気になった地点等をご紹介していこうと思う。私が廃線跡、旧道、産業遺構等を現地調査した報告書である GNR でも旧版地形図は時々登場しているので合わせてご覧頂けると幸いである。

    今回は私にとっては大御所とも言える明治時代の旧版地形図をご紹介したい。明治 34 年製版の 1/20,000 『直方』である。我が故郷である。

    ちなみに、この画像は単なる静止画ではなく、『+ -』と出ている通り拡大縮小(マウスホイールでも可)、さらにドラッグによる移動(パンニング)が可能である。ぜひ試して頂きたい。直方市民の方にとっては驚愕の地形図であることうけあいである。

    どうやら、当ブログ (Windows Live Spaces) の仕様変更なのかお見せしたい PhotoZoom –> DeepZoomPix の仕様変更の結果か、当ブログのセキュリティ制約のせいか、埋め込み表示が不可能になってしまったようなのでリンクとさせて頂く。

    DeepZoomPix

    この地形図で黒く塗りつぶされている辺りが直方市街中心部である。これはもちろん現在も然りである。この地形図よりさかのぼること 10 年前の明治 24 年に筑豊興業鉄道の手により開業の直方駅は『なをがた』として登場している。今回はこの直方駅の西側に描かれた、現在は存在しない線路に注目したい。比較のため現在の地図を示す。この地図は画像であるがクリックすると地図サイトにて同地点を拡大縮小等を行いながら閲覧可能である。

    地図画像

    直方はいわゆる筑豊地方と呼ばれ、産炭地として賑わった街であり、至る所に炭坑が存在しまさに網の目のように線路が引かれていたのである。上の地形図を拡大するとお分かり頂けると思うが、その引き込み線周辺には『つるはし』が交差した鉱山の記号が見て取れる。線路自体は直方駅と西徳寺との間を南に抜け、恐らく現在の地図での市民球場の北で二股に分岐していたと考えられる。

    ちなみに、旧版地形図で示されているその線路は単線である。また、現在の筑豊本線部分は明治時代にあって既に複線である。これらは地図記号で明瞭に区別がつくがお気づきだろうか。

    現在は影も形も無いこの線路の痕跡はどうなっているのだろうか。現在の地図を拡大すると、ある程度道路の線形に名残を残しているようにも見えるがハッキリ言って現時点では何の情報も持ち合わせていない。今後机上調査を試みる予定である。

    何か情報をお持ちの方はぜひお知らせ願いたい。そして今後も旧版地形図にまつわる話題を紹介していきたい。

    18/07/2007

    道路不通区間

    取り留めのない話題をまたひとつ。 

    都会に生まれ育った方にはあまり馴染みがないかも知れないが、道路とは本来つながってナンボなのではあるが中には尻切れとんぼや途中が歯抜けになっている場合もある。

    途切れてしまう理由はいくつか考えられるが、概ね以下のような類であろう。

    • 山越え等の難工事部分等が何らかの理由で着工が遅れそのままになった
    • 当初の計画と状況が変わり工事が中断した
    • 災害や旧規格道路あるため通行不可となった
    • 迂回道路や新道の建設で事実上の廃道となった

    他にもいろいろあると思うがよく分からない。

    このような例として我が故郷である筑豊地方にある県道 62 号北九州小竹線を紹介したい。下の地図がそれであるが、何故か目盛りが meils (マイル)になっているのは無視して頂くとしてこの尻切れとんぼの県道は実は直線距離にして約 20km 程先に再び地図上に現れるのである。

    その間は道のうねうね具合から想像するとおり山間部である。まぁ確かに完成している区間でもこんなうねうね道なのでこれからさらに山に入っていくのは大変だろうなとは容易に想像がつく。そして山のかなり向こうに同じ 62 号線が復活するのである。

    しかーし !

    そもそも何故こんな所に道を通す必要があったのかが疑問である。大体北九州と小竹を何故にこんな険しい山を険しい道で直結しなければならなかっただろう。

    ちなみにこの道は何度か訪れたことがある。そして下の地図で線として表示されている部分までは地図どおりのかなり険しい道ではあるが舗装されているので車で行くことは可能である(と言っても実はふもとにゲートが一応あったりするが)。

    実はこの県道は線で表されている先は未舗装道路が続いている。しかし路面は激しくえぐれ、オフロードバイクかマウンテンバイクか四駆じゃないと通行不可である。ただし、マウンテンバイクは舗装部分で既に心臓が破れると思うが。

    そのため実際にはどこまで道としてつながっているのか、いつかこの目で確かめてみたいと思う。ちなみに舗装部分の最奥地点は眺めが良く、筑豊地方のかなりノスタルジックな夜景を楽しむことが可能である。

    次は関東地方というか多摩方面の方にとっては馴染みのある日原(にっぱら)を通る道である。

    この道は日原街道と呼ばれ、都内にある鍾乳洞として有名な日原鍾乳洞へ通じる道である。ちなみに正式名称も『東京都道 204 号日原鍾乳洞線』である。

    下の地図で色のついた道路の終点付近にその鍾乳洞は位置する。

    この都道は地図でも分かる通り川に沿って道が作られており、もっと地図を拡大すると色のついていない道としてさらに山の奥地へと数 km 程分け入っている。

    どうやら林道であるようだ。そして地図で追っかけてみて驚いた。実はその細い(と思われる)道は少し北に上がった日原と書いてある場所付近まで延びているのである。

    何が驚きかと言うと、上の地図で真ん中にある日原トンネルの南に『日原』という地名が書かれており北端には『籠岩』という景勝地がある。

    下の地図ではその『籠岩』が南端にあるのだが、北端には再び『日原』という地名が登場しているのである。しかし地図で拡大してみても人家が見当たらない。そしてこのすぐ北はもう東京都と埼玉県秩父地方との境である。つまり尾根である。

    もう一度思い出して欲しいがそもそもこの道は『日原街道』である。

    ひょっとしたら、この道は本来この奥にある『日原』まで延びていた道なのかも知れない。つまり、人が住まなくなった終端部分が道路としてのグレードアップの恩恵にあずからなかった可能性はないだろうか。

    どこかでかじった情報ではこの地方は今でこそ東京都だが、元々は山向こうである秩父地方との交流が盛んであり東京方面がむしろ接触がほとんどなかったようである。

    この日原街道の尻切れとんぼにも奥深い歴史があるのだろう。それに一番奥の行き止まりの部分を見てみたい。

    このように道路の『端っこ』とか『中抜け』等の経緯や歴史を追うのも面白い。

    05/01/2007

    地図力検定試験

    今日いろいろな資格があるが、地図力検定試験なるものをご存知だろうか。

    国土地理院発行の地図の販売やその他を受け持つ財団法人地図センターが主催する地図の読解能力を試すものである。

    日頃何かと見る機会のある『地図』であるが、読みこなしている人は私も含めて意外に少ないのではないだろうか。

    廃線や旧道調査を趣味としている私にとって地図はなくてはならない重要な資料であるが、まだまだ全くと言っていいほど使いこなせていない。

    私が一番利用するのは地形図である。昨今 Web でも地図は見放題であるが、あれは道路地図である。

    地形図ではさまざまな記号によって極めて多くの情報を汲み取ることができる(私はできないが)。

    地形図で最も基本的な記号は等高線であろう。都心の地形図ではなかなか難しいが、山間部や地方の地形図を見ると必ずと言っていいほどお目にかかる。

    この等高線を読み取るのも経験と勘が必要だと思う。

    実は人生で今のところ一度だけ機会に恵まれ沢登りに挑戦したことがあるが、この時勉強のため登山地図ではなく地形図を持ち込んで自分の現在地特定を度々試みた。

    難しい!!

    沢も奥地となると地形が複雑となり、実際の地形の特徴と地形図上の等高線とのマッピングが難しくなる。これは場数を踏むしかないと痛感した。

    地形図を読みこなすための本も買ってみたが、やはり実戦を積むのが一番だと思う(私が買った本にもそう書いてあった)。

    そんな時この地図力検定試験を知って キタ━(゚∀゚)━!!!!! という感じで調べてみると、等高線どころの話ではなかった。

    地図の歴史からありとあらゆる『地図』に関する知識を問われる地図おたくになれるといっても過言ではない内容であった。

    私には現時点では到底高嶺の花であるがいつかチャレンジしたい。試験には『級』があり、以下のような扱いとなっている。

     

    (1) 成績上位者を1~3級に認定します。
    (2) 96点以上の得点をあげた方および1級認定5回の方を「地図力博士」に認定します。
    (3) 1級認定3回の方を「準地図力博士」に認定します。
    (4) 毎回の最高得点者を表彰します。
    (5) 地図力博士、準地図力博士および最高得点者の方には、副賞(1万円分の図書カード)を進呈します。

     

    ちなみに、受験資格は一切ない。いかがだろう。私は今年中に 3 級を取得したい。

    興味のある方は以下のリンクより詳細を確認してみてはどうだろう。既に合格経験をお持ちの方は秘訣を(以下自粛)。

    財団法人地図センター

    http://www.jmc.or.jp/

    同サイト内地図力検定試験のページ

    http://www.jmc.or.jp/chizuken/info.html