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    12/04/2007

    迷子しらせ石(続編)

    以前『迷子しらせ石』という記事を書いた。
    これは江戸時代の遺構で当時の迷子の管理を地域が責任を以って取り扱うために設置された石柱であることを紹介した。
    また、東京都中央区八重洲に石柱が保存されており、設置された説明版に浅草寺境内と湯島天神境内にもかつて存在した旨の記載があることもあわせて紹介した。
    その後、別の調べ物をしている際に偶然にこの迷子しらせ石に関する情報を得た。
    国立国会図書館内にある近代デジタルライブラリーで見つけた明治 14 年発行の『改正東京案内』の中に『迷子の報標』という章があり、この迷子しらせ石の設置場所一覧が記載されていたのである。
    これによると以下の場所に設置されていたとのこと。
    • 両国橋の際
    • 一石橋南際
    • 浅草観音仲見世
    • 芝赤羽橋際
    • 下谷湯島社内
    • 神田万世橋際
    • 芝太神宮前

    明治初期にもこれだけ残っていたのである。また、東京案内という書物に載るということはやはり現役で使用されていたと思われる。

    この『改正東京案内』に限らず近代デジタルライブラリーには数多くの古書がアーカイブされており私のような近代の調べ物を必要とする者にとって非常に有用である。

    指定したページの PDF 化によるダウンロードも可能(1 回 10 ページまでだが)なので、手元でゆっくり見ることも可能である。

    数百ページの書籍の全部をダウンロードしたい場合は気が遠くなるが。

    25/03/2007

    迷子しらせ石

    東京都中央区八重洲すなわち東京駅の近くにちょっと変わった石碑が残されている。

    その名は『迷子しらせ石』である。東京都指定有形文化財に指定された珍しい石碑である。

    併設された説明板によると、江戸時代後半八重洲から日本橋にかけては盛り場として大いに賑わっていたようである。

    現代でもそうだが、人の多いところではまず迷子は必ずといっていいほど出る。

    当時、迷子は地域が責任を持って保護することになっていたため町の有力者が世話人となり、安政四年(1857)に建立されたものとのこと。

    石柱の正面には『満よい子の志るべ』(まよいごのしるべ)と書かれており、右側には『志らする方』、左側には『たづぬる方』と書かれておりそれぞれ上部に窪みがある。

    迷子を捜している人は左側の窪みにその人の特徴などを書き込んだ紙をはり、通行人でその人を知っていると思った人は同様にその人の特徴などを書き込んだ紙を右側の窪みにはったという。

    同様の石柱は浅草寺境内と湯島天神境内にあったが浅草寺のものは戦災で破壊されてしまったとこのと。

    昔から迷子は皆の協力の下に発見されるのは同じなのだと感慨深いものを感じる。そういう自分も大阪のとある団地の生まれだが、落ち着きが無い子供であったため再三にわたり迷子(というより行方不明)騒動を巻き起こし付近の住民でよく捜索したそうである(数年前にその団地を訪ねた際に実際に私をよく探したというおばさんに言われた)。

    私として面白いと思ったのは江戸時代では迷子は地域が責任を持って保護することになっていた、という点である。

    今この石碑の残る都心ではオフィスビルが立ち並び住民登録数も減り地域のコミュニティも希薄となりつつあると思われる。休日もそこに迷子になるような子供達の歓声や泣き声もない。

    昔からそこに住んでいる人達にとっては寂しいだろうと想像してしまう。

    やはり、子供は大人に迷惑をかけて怒られて育つと信じて止まない私にとっては迷子しらせ石は画期的なシステムであり現代もあるといいなと思う。

    無理やり関連付けるとと地域 SNS サイトが使えるだろうか。

    かつての古き良き地域人間関係を現代版の道具を使って再び形成されるきっかけになれば素晴らしいと思う。

    # と言っても私は SNS は使いこなせない。。。

    ちなみに、この石碑の場所は植木等の映画『日本一シリーズ』で再三にわたり会社として登場する大和証券本社ビル(映画撮影当時のままの建物)のすぐそばである。

    26/11/2006

    羽田にかつてあった町名

    現在東京国際空港は国内線の最重要空港として不動の地位を確立している。

    この空港は日本で本格的な空港としての先駆けであり、現在は皇室関係者や政府要人が利用するVIPな空港でもある。

    この空港があるのは『羽田』という場所であり、一般的には羽田空港とも呼ばれる。今は空港島には当然のように住民は存在しないが実はそこにはかつて人の住む街があった。

    ちゃんと調べてないのでいい加減だがかなり以前から羽田付近は埋め立てにより開拓され田んぼが広がり、また『羽田海苔』のとれる街であった。

    戦後GHQによる羽田空港拡張工事により住民は48時間以内の強制退去を命じられ、戦前よりあった京急旧穴森線(現空港線)も空港とあわせて接収された。

    また、当時空港島にあった穴森稲荷も移転を余儀なくされたが数多くあった鳥居が次々と破壊されていく中で移転しようとすると事故が発生するために放置された鳥居があり、それが幾多の変遷を経て現在空港島に渡る弁天橋の袂に鎮座している。

    鳥居のそばには各種説明版が設置され、鳥居の由来やかつてあった町の概略地図もあり非常に興味深い。

    Wikipedia によるとかつて羽田にあった町名は以下の通りである。

    ・羽田江戸見町(鈴木新田字江戸見崎)

    ・羽田穴守町

    ・羽田鈴木町(鈴木新田字宮ノ下・辰巳ノ方・巽ノ方・明神崎・鈴納耕地・堤外東南)

    ・羽田御台場

    ・鈴木御台場(鈴木新田字御台場・御台場耕地・辰巳島)

    ・猟師町御台場(羽田猟師町)

    昔は今の『町』と異なりかなり少数の個数で町名が分かれていたとはいえ、これだけの町名が消滅している。

    また、先に触れた京急でも旧穴森線においていくつかの駅名が(改称も含めて)消滅している。

    ・穴森駅

    ・羽田駅

    ・稲荷橋駅

    また、今でこそ京急はようやく空港島というよりかつての羽田のいくつかの町の地域に乗り入れているがそもそも戦前から線路を敷いていたのである。しかし、空港が建設されてからは乗り入れの許可がなかなかおりず後発の現東京モノレールが唯一の空港アクセス鉄道となっていた。

    個人的には京急の空港線に上乗せ運賃を強制させるような東京モノレールに打ち勝って空港アクセス路線の王者に君臨して欲しいと思う。

    割高な運賃で儲け続けた東京モノレールをぎゃふんと言わせて欲しい。

    応援してます。100年以上続いている鉄道会社、京急!! 120km 運転でJRをぎゃふんと言わせた次は東京モノレールだ!!