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    10/11/2009

    汽車倶楽部(福岡県直方市)

    私は大阪府高槻市の生まれであるが、すぐに福岡県直方市に引っ越すこととなり高校卒業までそこで育った。従って私にとっての故郷はほとんど記憶のない高槻ではなく、直方である。つまりは筑豊地方である。

    最近になって廃線跡や各種の産業遺構等を訪ね歩くようになり、GNR として浅学っぷりを披露したりしているが、東京在住の一介のしがないサラリーマンにとって、訳あって実家も既にない筑豊は、かつて全国一の産炭地であったことによるさまざまな産業遺構があり、気持ちの上では身近で魅力的な場所であるが、物理的には非常に遠い存在である。

    しかし昨年、第一次筑豊・北九州計画と銘打って何とかそれらの現地調査の第一歩を無理やり踏み出してみた。同計画の内容はリンク先を参照して頂くとして、この時 JR 九州筑豊本線直方駅で東筑軒のかしわうどんを調査中に店内でとあるパンフレットを偶然目にした。それが汽車倶楽部である。

    その時は時間的余裕もなく、また鉄道模型ショップとしてのイメージが強いパンフレットであったため、『おぉ、直方に鉄道模型店ができたのか!!』というくらいでその後あまり強い印象を持つことなく時が流れた。

    そして先日、第二次筑豊・北九州計画(追って内容は別途紹介予定)と題して懲りずにさまざまな産業遺構の現地調査に向かうことになったが、その際この汽車倶楽部のことを思い出し、Web で調べてみると確かに鉄道模型店ではあるが、それだけではないことが判明したのである。同サイトからの説明文を以下に引用する。

     汽車倶楽部は、事務局を福岡県直方市に置き、実物の鉄道車両や設備、そして鉄道を支えてきた人たちの記録、また、映像や写真、録音、資料など、鉄道に係わる有形および無形物を鉄道文化財として位置付け、それを後世に継承するために収集、修復、整理、保存し、一般に公開するために活動する人たちの集まり、また、その活動そのものを楽しむ人たちの集まりです。
     活動は、主に模型ジオラマや、映像、書籍、録音物、グッズ、模型、レプリカ等の制作販売収益などでまかないます。
     なお、会員の親睦を深めるためなどで、イベント列車等を運行することもあります。
     事務局会員は通常の職業を持っていますので、汽車倶楽部での純粋な活動は無償活動(いわゆるボランティア)ということになります。

    筑豊地方の歴史を知らない方にとってはただ単に鉄道マニアの集まりと思えるかもしれないが、私はそうではないと感じている。つまり、筑豊地方は北海道と一二を争う我が国最大の産炭地であり、運炭線として首都圏をも凌駕したとも言われるほどの鉄道網が発達していたのである。このような特殊な地域における『鉄道』とはまさに交通の基幹であり、炭坑という『産業』を支える大動脈だったのである。

    そのため、私が物心ついた頃には既に現役を退いていた蒸気機関車と共に青春を歩んだ方の多くが筑豊地方を訪れたようである。分かる人には分かる直方機関区等である。その鉄道の世界を文化財と捉え有形無形のものを後世に伝えようとしているのである。往々にして鉄道趣味というと、外部からの印象としてとかく『車両好き』というきらいがあるが、汽車倶楽部ではそうではなく広い範囲で鉄道を捉えている。

    まさにこの考え方は私が GNR にて行っている産業遺構めぐりと共感するものがある。以下に示した『筑豊の近代化遺産』(もちろん購入済み)の冒頭にもあるように、かつて筑豊を代表する産業であった炭坑はエネルギー転換政策後急速にその姿を消し、今や存在したことさえ忘れ去られようとしている。

    汽車倶楽部ではこのように失われようとしている過去を『鉄道』という切り口で少しでも保存しようとしているのである。先日訪れた時は事前に場所だけ確認して突撃したため、休みであった。しかし、たまたま休日出勤していた方といろいろと話をさせて頂いた。東京から来た旨を話すと、『今日は休みやけど、それやったら話は別ばい』と特別にちょっとしたサプライズまでサービスしてくれた。運営にはかなり苦労も多いようであるが、信念を持って取り組んでいるのがとても伝わってきた。そして別れ際に名刺を頂いたがそこには『汽車倶楽部代表 江口一紀』とあった。

    直方近郊に住む方はぜひ汽車倶楽部のサイトをご覧頂き、直方にもこのような組織が存在し地道に意義あることを行っている団体があることを知って欲しいし、お金をかけずに協力することもできるので興味のある方はぜひ参画してみて欲しい。ローカルネタで申し訳ないが、あの子供の頃プールに通った人も多いと思う(私もその一人)が、『直方いこいの村』に保存されている蒸気機関車 D51 も同倶楽部が主催する定期メンテナンスで毎月ボランティアが美しく磨いているのである。

    素晴らしい。遠距離在住者である私は『汽車倶楽部会員』に入会しようと思っている。ちなみに私は同倶楽部の関係者等ではない。代表氏とたまたま話をしてその考え方や行動に感動したので勝手に紹介しているだけである。

    27/02/2009

    さくら

    このようなタイトルでもなんと鉄道に関する話題である。そう聞くとご存知の方は『ブルートレインかい?』と思われる方も多いと思うがそうではなく、新幹線に関するものである。

    2011 年春に予定されている山陽・九州新幹線の直通運転列車の名称が『さくら』に決まったのである。詳細はリンク先をご覧頂くとしてここではぐだぐだと個人的感想を述べさせて頂きたいと思う。

    私にとっても列車名称としての『さくら』とは子供の頃何となくいつか乗ってみたいと思っていたブルートレインのことだった。小学生高学年の一時期、例えば DD51 + 50 系客車とかに乗って筑豊本線筑前植木駅から鹿児島本線小倉駅まで毎週塾に通っていた。朝イチ小倉駅に着き少し経つと『さくら』が入線してくるのでそれを見るのも楽しみの一つだった。毎週毎週欠かさず見てたわけではないが時々見ていた。

    我が筑豊本線は当時非電化であったため、私にとっては電気機関車を見る貴重な機会だったのである。日頃聞き慣れた DD51 のディーゼルエンジンとは全く異質の唸りが新鮮だったのを印象的に覚えている。ある時ブルートレインにはそれぞれの列車ごとだと思われるがスタンプが存在することを知った。そこで意を決してある朝、機関士か車掌だったか(曖昧な印象では機関士)に思い切って『スタンプを押してもらえませんか』と直談判を試みた。その結果なんと OK 。慌ててノートか何かを取り出して押してもらった。感激した。今そのようなことは叶う時代だろうか。

    その時は子供心にも『乗れる機会なんてないよな』という思いから突撃しただけに『これは本当は乗らないともらえないだろうものをわざわざくれたんだ』という思いを持った記憶がある。その『さくら』も既に廃止になっているし、結局乗ることは叶わなかった。あのスタンプもその後の度重なる私の引っ越しで行方不明となってしまった。

    来月 2009/03/14 の JR のダイヤ改正ではさらに東京駅発着のブルートレインが全廃となる。あの頃小倉駅で見た『さくら』を思い出すと何となくさびしい気持ちにはなる。しかし、これも時代の流れなんだと思う。

    ところが、そのなくなる一方のブルートレインのしかもあの『さくら』が列車名称として復活するのである。さらに少々パワーアップして新幹線として。名称の一般応募中最も多かったものなのだそうだ。この名前にいろいろな意見があると思うが私個人としてはこの列車名称を素直に歓迎したい。ただでさえ無機質になりつつ今日の鉄道車両にこのような『和』テイストの名前が付与されるのは素晴らしいと思う。もちろん既存の新幹線列車もそうなのであるが、ひさびさにお国に絡まないものとなったようにも思える点も歓迎したい点である。

    運転が始まってフィーバーが一段落したらぜひ小倉駅で見てみたい。子供の頃は地平ホームで電気機関車のヘッドマークに鼻息を荒くしていたが今度は高架ホーム上で N700 系の LED 表示でその名目を見ることになる。まさに隔世の感ありである。でもまた小倉駅で『さくら』に会えると思うと嬉しい気もする。

    東京に上京してそこそこ年数が経つので小倉駅自体が既に懐かしい対象であるが、昨年 第一次筑豊・北九州計画 - Windows Live とか銘打っていろいろ見に行った際に小倉駅にも久しぶりの再訪を果たした(ブルートレインは見てないが)ので駅自体ではなく次は『さくら』を見に行きたいと思う。

    やはり春に行くべきだろう。それはやはり桜の季節だから。ただ私にとっては花粉症の季節でもあるが。でもその前に期待薄ではあるがあのスタンプも捜索してみたい。

    なお、この『さくら』の発表直後のためか JR 九州のサイトはアクセス不能となってしまっているので公式発表の画像等の紹介が残念ながらできない。

    01/01/2009

    今年もよろしくお願いします

    『あなたの知らない世界』で検索した方々が新倉イワオに出会えるのではないかとほのかな期待を持って訪れ、全く違う内容にがっかりして去っていくのが定番となっている当ブログもこれからもマイペースで続けていきたいと元旦に思いを馳せている。

    思えば、当ブログは当初私の株のオンライントレードの負けっぷりを赤裸々に綴っていたが、あまりにも負け続けるので方向転換し現在に至っている。テーマは変われどぼちぼちとしょーもないことを徒然なるままに書いているのは変わっていないと思う。

    今後も『あなたの知らない世界』の期待を裏切り続ける記事を続けていきたい。ただ、ほんの少しでも『知りたい』と思って訪れた人のきっかけになればとも考えているので、今後も気楽に気長にへなちょこコンテンツの製作にまい進するつもりである。

    新年第一弾の記事はおめでたい季節にふさわしいロイヤルな香り漂う鉄道車両を取り上げたい。それは JR 東日本が誇るハイグレード車両である E655 系電車である。どこがロイヤルかと言うとお召列車としても使用される点である。そして愛称は『なごみ(和)』である。

    このようなハイグレード車両に私ごときが乗れるはずもなく、以前乗り鉄の達人である I 氏(あなたですよ、あなた)にこの車両によるツアーの情報を頂いたが参加が叶わなかったため、『鉄道ダイヤ情報』を頼りに他のツアーによる運行ダイヤを確認し、2008/11/30 に上野駅にて撮影したものである。駅構内の光源による色彩の度合いを補正していない(スキルがない)が雰囲気は伺えると思うので例によって鉄道車両の撮影センスは皆無だが恥を承知でご紹介したい。

    JR 東日本 E655 系電車なごみ(和)【上野駅】

    『なごみ(和)』という愛称にとても似つかわしくないイカツい表情である。何というか表現しがたい面妖な顔である。

    JR 東日本 E655 系電車なごみ(和)【上野駅】

    横から見るとまるでふくれた子供である。しかし、さすがはこの光沢、我々下々の庶民には指一本触りがたい艶と言えよう。

    JR 東日本 E655 系電車なごみ(和)【上野駅】

    いつか乗ってやる。待ってろよ、なごみ。そして、あけましておめでとう。

    12/12/2008

    新幹線 0 系 電車

    我が国初の超高速鉄道の嚆矢となった『夢の超特急』こと新幹線は 1964 (昭和 39) 年の東京オリンピックにあわせて開業した。構想自体は戦前より『弾丸列車』としてこのような高速鉄道の実現が画策されていた。そして新幹線の開業にはこの弾丸列車のために買収(半ば強制的な場所もあった)した用地も役立ったという。

    この新幹線の開業時に登場したのが、誰もが思い浮かべるであろう丸っこい愛嬌のある顔をしたご存じ 0 系である。合計 3,216 両も製造され、まさしく新幹線の『顔』であったと言える車両である。そして 44 年間走り続けて 2008/11/30 を以てついに営業運転から引退したのである。

    あの顔と『ぷあーん』というような警笛も、まさに新幹線というイメージを作り出した車両であった。その後数々の新形式の車両が開発されようともそれはゆるぎないものだったと思う。

    福岡育ちとしては、新幹線と言えばまさにこの 0 系そのものであった。鉄ちゃんとの自覚はあるが、車両はどちらかと言えば専門外である。しかし今回の引退に先立ち、名残り乗車をさせてもらった。この夏久しぶりに帰省を兼ねて田舎の廃線跡他いろいろなものを調査に第一次筑豊・北九州計画などと題打って訪れた際、博多~小倉間だけではあったが機会を作り乗り納めすることができた。

    今から 25 年以上前、小学校 6 年生の時通っていた塾の東京研修に参加するため(参加のための試験に合格した)、生まれて初めて東京に向かう時に小倉から乗った。一人きりで。今でも忘れないが小倉を朝の 10 時頃出発し、東京着は夕方 16 時頃の予定だった(当時は 6 時間くらいかかった)。ところが、その日関東地方を襲った豪雨のためだんだん電車が詰まっていったらしく、ついに私が乗っていた便はピーカンでうだるような暑さで外の風景がゆらゆらしている岡山駅に長時間停車となった。そこからだった、始まりは。そこからは長時間停車とのろのろ運転を延々繰り返し、結局東京に着いたのは夜 23 時を超えていた。そう、都合 13 時間ほど乗っていたことになる。当時でも優に博多~東京間が往復可能な時間である。おかげで新幹線とは早い乗り物なのか、そうでもないのかよく分からない印象だった。

    川崎に住む親せきが迎えに来てくれたが、さぞかし心配だったと思う。が、本人としては夏でランニング一丁だったのでエアコンで少々体が冷えたのとちょっと退屈だったくらいで、全然元気だった。むしろ初めての東京で鼻息も荒かったと思う。ただ、自由席であったため途中から乗ってきた人で廊下にまで新聞紙を敷いてぎゅうぎゅう詰めであったことと窓際の席だったこともあって、トイレはほとんど行かなかったので、降りたらまずトイレに行きたかったような印象がある。

    本来なら夕方に到着して、あの『山手線』の電車を見れると期待していたがさすがに 23 時過ぎでは宿となる親せきの家に直行だったのがちょっと残念だった。我々地方出身者の子供にとって山手線はまさに東京そのものだったから。私だけかも知れないが。でも、次の日秋葉原の今は亡き交通博物館に連れて行ってもらった。大人の目からみれば少々古臭かったかも知れないが、当時の私にとってはとても楽してしょうがなかった。ぼんやりしか覚えてないが驚きの連続だった。だが、そこも今はもう閉館となった。

    確かその次の日から本来の目的である塾の東京研修に一週間ほど参加した。場所は代々木の国立オリンピック記念青少年総合センターだった。今でこそ建て替えられてこぎれいな建物だが、当時はその前であり既にかなり老朽化していたと思う。子供心に『何で東京なのにこんなぼろっちい窓なんやろ』との印象だった。

    そして無事研修も終わりいよいよ帰るのであるが、上京の際に難儀したのを気遣ってか親せきはなんとグリーン車を予約してくれた。これも 0 系だったと思う。大人になったような気がして最高だった。ハッキリ言ってかなりのチビなので、座席が大きすぎて全然くつろげなかったけど素直に嬉しかったのを覚えている。そして塾の研修とは言え、本人としてはほとんど旅行のようなものだったこともあり、気分的にもそして実際にも帰りはあっという間だった。

    私にとって 0 系とはそんな思い出のある特別な車両である。今何を思ったか東京に住んでいるが、初めて東京に連れて来てくれたのが他でもない 0 系だったのである。さらにその時新幹線自体乗るのが初めてだった。東京に来ても、もう 0 系は JR 西日本区間のみの運転となっており日頃見かけることもできなくなっていたため、この夏最後に乗ることができてよかったと思う。それも地元の博多~小倉間で。最初も乗り納めも夏ということになる。ちなみに途中かつての実家のある街(というよりただの田舎だが)を通る。子供の頃よく遊んだ場所も一瞬だけ見えた。0 系に乗って田舎の風景を車窓から見る。わずか 20 分足らずの乗り納めだったが最高だった。小倉で降りた時ここからあの時生まれて初めてこれとおんなじ 0 系に乗ったんだと思うと、感慨深いものがあった。大して成長はしていないが年月だけは確実に経った。

    生まれて初めての新幹線でぶっ通しで同じ列車に 13 時間乗り続けたのは本当に思い出深い。乗り鉄というジャンルを攻めていないので今後更新することもないだろうし、更新したくない気もする。あの時は特急料金は返金されたし、ある意味得したと思っている。しかしその 0 系はもう最後にイベント列車が走るだけでもう営業運転はしていないのである。

    0 系、ありがとう。そして 44 年間お疲れさま。またどこかで会おう。開発した人達もありがとう。あの時の某小学生は今でも 0 系はかっこいいと思い続け、それがきっかけというわけではないけど大人になってまた鉄道趣味が復活しています。ついでに言うと保線関連の職種で JR 東日本にギャグで応募してちゃんとギャグで終わりました。やはり 0 系は今でも特別で最高の車両です。

    写真はこの夏乗り納めをした時の博多駅での 0 系(今から乗る編成が回送中)とその車内の様子、それと自分のお土産に研修先の売店で買った絵葉書である。なお、絵葉書の中にある『Bullet Train』とは『弾丸列車』の英訳である。またオリンピック記念センターは上述の通り現在は建て替えられ風景が激変している。

    JR 西日本新幹線 0 系電車 R68 編成【博多駅】

    JR 西日本新幹線 0 系電車 R68 編成自由席車内

    JR 西日本新幹線 0 系電車【絵葉書】

    国立オリンピック記念青少年総合センター【絵葉書】

    04/03/2008

    小田急ロマンス BAR

    2008/03/15(土)に小田急ロマンスカーの最新型である MSE が東京メトロに乗り入れる。我が国の地下鉄の歴史で初めての有料座席指定列車の登場である。詳しくは小田急電鉄のホームページをご覧いただきたい。

    そしてこの新型車両 MSE のデビューを記念し、3/14(金)~3/19(水)の期間限定で東京大手町で『小田急ロマンス BAR』というバーが開店する(画像は編集長敬白より)。

    ちなみに場所は以下の赤い押しピンの場所である。下の地図画像をクリックすると、地図サイトへ移動し、ズームや航空写真への切替等も可能である。

     

    地図画像

    このカフェではオリジナルカクテル等もあるとのこと。他にもイベント等も予定されている(詳細は冒頭の小田急電鉄のホームページ参照)。

    要調査である。でも、人ごみはつらい。

    30/10/2007

    サッポロ生ビール

    まったく今さらであるが、去る 2007/07/01 に JR 東日本が技術の粋を結集した次世代新幹線車両として N700 系をデビューさせた。JR の宣伝も大々的でありポスターや各種メディアでの等での盛んだった PR っぷりはご存じの通りである。

    しかし。

    そんなにメジャーではないがお約束の宣伝アイテムがある。酒飲みには馴染みが深いシリーズである。

    DSC00028

    まぁ個人的には『ワンカップ大関』のラベルの裏側の風景写真がお酒と他の何かとのコラボレーションの先駆的存在と勝手に信じている。

    23/08/2007

    驚異の D51 運転シュミレーター

    度肝を抜かれた。。。 言葉が出ない。

    さすが、向谷実氏。

    http://www.hobidas.com/blog/rail/natori/archives/2007/08/51.html

    07/08/2007

    気動車と衛星電話

    JR 東日本山田線。東北の方ならご存知の方が多いだろう。

    岩手県の県庁所在地である盛岡と三陸地方の中核都市のひとつである宮古市を経てかつての鉄の街釜石を結ぶローカル線である。

    この路線の歴史は古く、また深い。詳細は 山田線 - Wikipedia を参照頂くとして、地元出身の首相原敬によって陽の目を見た路線である。

    岩手を少しでもご存知であれば想像がつく通り、山間部とは切っても切れない路線である。そのためというわけではないかも知れないが、この路線は峠越えの盛岡~宮古間と宮古~釜石間とで運転系統が分割されている。

    全線非電化で、また旧国鉄時代の気動車が JR 東日本盛岡支社オリジナルカラー(通称赤鬼)と旧国鉄色とで走る気動車ファン(私も含む)にとって一つの聖地とも言える路線である。

    列車は運転中は鉄道無線で駅やその他施設と連絡を取り合うが、この盛岡~宮古間の峠越えでは無線での通信が困難であるため、なんとこの旧国鉄時代の気動車には衛星電話が設置されているのである。

    写真では見えづらいが屋根の上に鍋をひっくり返したような白い物体があるが、これがそのアンテナである。よく見ると NTT DoCoMo のロゴがある。

    キハ 52 151 赤鬼

    同衛星電話アンテナ

    現代のハイテク技術がこのような地方ローカル線で人知れず使用されているのである。

    ちなみにこの車両はキハ 52 であり、今となっては貴重な形式である。そしてこの顔を見れば『赤鬼』の意味がお分かり頂けるだろう。

    06/05/2007

    電車の非常脱出梯子

    最近新造される電車はハイテクの塊であり、その技術の進歩には目を見張るものがある。
    一見すると見えないところにも様々な工夫が施されており、別途資料等を見なければ実装されていることすら分からないことも山のようにある。
     
    そんなことのひとつに最近知ったことだが、(前からも存在したかも知れないが)最新の電車には非常脱出梯子が社内に常備されているとのこと。
    ここでは、そんな電車を二種類ばかり紹介したい。
     
    一つ目は東急 5050 系である。東急の最新鋭の車両であり、同社の主力幹線とも言える東横線に充当されみなとみらい腺との乗り入れも実施している。
    この車両のドア付近の床下に(途切れてしまって)醜いが写真のようなはしごが常備されている。
     
    非常時にはこれを取り外し、ドア部分にセットし社外へ脱出できるようにするものである。
     
    また、京急の最新型車両である新 1000 系 6 次車では先頭車後部の棚に常備されている。
    こちらは以下のリンクに詳しいので参照頂きたい。
     
    編集長敬白: ステンレスの京浜急行誕生!
     
    ちなみに、個人的にはこの京急の最新型に早く乗ってみたいと思っている。
    実際私は電車に乗るより沿線をチャリや徒歩で廃線調査や構造物調査を実施しているほうが多いくらいなので、実際この車両は某踏切から目撃したがやはり京急初のステンレス車両は驚きである。
    何となく『京急 E231 系』という感じがして京急らしさが薄くなってしまったような若干気がしている。
    # と思っている同志が少なからずいると(勝手に)思っている。
     
    新技術による新型車両もいいが、歴史のある車両にもより魅力を感じる私は今のうちに京急の車両の写真を撮りだめと乗りだめしたいと思い立ち始めている。
    京急蒲田付近の連続立体交差事業区間も地平線のうちにこの目にその景色を焼き付けておきたい。
    05/05/2007

    京急ジープ?

    京急川崎駅は高架線の京急本線と地上線の大師線が接続する駅である。
    大師線ホームの少し先に大師線の車庫と思しき留置線をいくつか備えた施設(正式名称未確認)がある。
    ここにイカす車両を発見した。写真をご覧頂きたい。高架を走るのは京急本線上の営業車両である。
    そしてこの写真の車両は一体どのような事態に出動となるのだろうか。よく見ると公道も走れるようナンバープレートもあるようだ。
    また、名称は何なのだろうか。
     
    かなり気になる存在である。