golgodenka's profileあなたの知らない世界PhotosBlogLists Tools Help

Blog


    22/01/2009

    直方駅前整備事業パブリックコメント募集

    直方駅とは微妙に難読駅名と言えなくもなく『のおがた』と読む。『のうがた』ではない。 JR 九州筑豊本線の駅である。かつて石炭産業で栄えた筑豊地方の鉄道の要衝であり、運炭の主力であった蒸気機関車(SL)が終結する直方機関区を擁す一大ターミナルだった。ブルートレイン『あかつき』の停車駅でもあった(私は乗ったことがないが)。そして、何気に私の故郷の駅でもある。

    同駅は 1891(明治 24)年に私鉄である筑豊興業鉄道の手により開業した歴史ある駅である。当時は現在よりも数百メートルほどやや南に位置していたようである。我々地元民的に言えば御館(おたて)橋のすぐ北側だったそうである。

    ※地図中一番下の黄色い道路が線路を越えている箇所が御舘橋

    地図画像

    そしてその長く石炭産業と運命を共にした歴史もさることながら、実はさりげなくすごいのが駅舎である。なんと現在の同駅の駅舎は初代博多駅のものを移築したと伝えられているのである。博多駅は 1889(明治 22)年に開業し翌年移転していることから、そのさらに翌年開業の直方駅に移築、流用したのは時系列的には矛盾もなく距離的も近いのでなるほどと思う。

    ただ、冒頭に示した通り直方駅も開業後移転しているが今度は同じ駅舎を数百メートル移動もしくは移築したのか。実はこの直方駅移転の時期は把握できていないが、この程度の距離なら移転だろうが移築だろうが問題ではなかったであろう。何しろ博多駅から持って来れたのだから。

    写真は昨年夏に第一次筑豊・北九州計画と称した GNR の調査(半分帰省とも言えるが)の際に撮影した同駅駅舎である(ちなみに調査報告書は未執筆である)。外観はかなり改修が為されているが、明治期の木造駅舎の風情を残しつつ堂々たる規模である。冒頭のリンク先である Wikipedia によるとネオ・バロック形式では九州最古の駅舎だそうである。

    JR 九州筑豊本線【直方駅】前景

    そして、正面の車寄せはこれまた特徴的なものである。難しい説明はできないので写真をご覧頂きたい。

    JR 九州筑豊本線【直方駅】正面車寄せ

    このように歴史的価値の非常に高い駅舎であるが、ついに駅舎の建て替えを含めた駅前広場の整備事業の動きが具体化してきた。下図は『市報のおがた』平成 21 年 1 月 1 日号に掲載された同事業に対するパブリックコメント募集の記事からの抜粋である。

    個人的には自分の田舎に関して『パブリックコメント』などというナウい単語が登場するとは夢にも思ってなかったが。

    JR 九州筑豊本線【直方駅】駅前整備事業パブリックコメント募集 - 『市報のおがた』より

    上の画像中駅舎部分にぼかしが入っているのは私がいたずらしたのではなく、 JR 九州が設計・施工するためイメージのみ掲載しているとの注釈がある。現在の駅舎とはまるで異なり、両国国技館の上にもう一つ小さな両国国技館が載ったようなデザインである。

    実はここで注目して頂きたいのは、この新駅舎そのものではない。その新駅舎から上の画像中央に向かって回廊のようなものが伸びている。そしてその先端部には何やら門のようなものがあるのがお分かり頂けるだろうか。バス乗り場ともタクシー乗り場とも思えない場所である。

    実はそこは上の画像にもあるようにこのようになっている。

    JR 九州筑豊本線【直方駅】駅前整備事業パブリックコメント募集 - 『市報のおがた』より

    あぁぁぁぁぁぁぁぁ、あの車寄せである。何ということでしょう! まさにビフォー・アフターである。現在起きている地元住民による現駅舎保存の声に対する JR 九州としての回答がこれである。上の画像ではその車寄せも実物かどうか疑わしい。恐らくレプリカではないだろうか。

    一応元地元住民として言わせてもらえば、『もうちょっとお願いしますよ』である。私がそう思う理由として、これらのイメージ図ではそれこそイメージが湧きにくい諸氏のために、参考としてこのように駅本屋が解体され、車寄せではないが玄関庇部分だけが残された例として Wikipedia の画像だが JR 西日本伯備線【備中神代駅】をご紹介したい。

    JR 西日本伯備線【備中神代駅】 - Wikipedia より

    お分かり頂けただろうか。直方のみんな、こうなっちゃうよ!!

    23/10/2008

    駅百選

    駅百選とだけ書かれるとちょっと違和感のある単語であるが、いわゆる『○○百選』の類の駅バージョンである。Wikipedia によると、当記事執筆時点では以下の駅百選が選定されているようである。

    これらは現国土交通省により選定されたものである。私個人としては古めかしく趣のある駅が好みであるが、これらの駅百選は当然そのような選定基準にのみ偏っているわけではない。また、残念なことに関東及び東北では選定の廃止により 98 駅、中部では 96 駅になってしまっており 100 駅現存しているのは今のところ近畿のみのようである。

    ところで、さすがに 100 駅ともなると Wikipedia のようなテキスト主体のサイトでは土地勘があるか訪れたことのある駅以外は所在地の把握が難しい。そのため Wikipedia の記述と写真を利用して手始めに関東から地図にプロットしてみた。

    GNR - 関東の駅百選

    GNR - 関東の駅百選

    この場合タイトルにある GNR という文字列は全くの蛇足でしかないが、他の地図コレクションと名称を揃えたいのでご容赦願いたい。今後上述の他の地域のものも作っていこうと思うが、東北に関してはなんとオフィシャルサイトが存在する。あわせてご覧いただきたい。

    東北の駅100選

    ところで、このサイトにはリンクに関して以下のような説明がなされている。

    当ホームページへのリンクは基本的にフリーです。

    リンクを設定される方へのお願い
    当ホームページへのリンクは原則としてフリーです。ただし、リンク設定の通知(ホームページのURLアドレス)をお願いいたします。
    なお、リンクの利用等によって発生した利用者の損害すべてに対し、いかなる責任も負いません。

    おk。『リンクは原則としてフリー』ならば何故に『リンク設定の通知』が必要なのだろうか。また、同ページ内には通知先が見当たらないように思える。また、著作権については以下の文言がフッターに記載されている。

    このコンテンツの著作権は、東北地区「鉄道の日」実行委員会に帰属します。個人の非営利目的の使用に限り、自由に利用可能です。

    これは至極真っ当だと思うが、『リンク設定の通知』を元にリンク元を『個人の非営利目的』から逸脱していないか、チェックするのだろうか。これをまともに受けて通知をしている人(非企業)はいるのだろうか。

    企業や中には個人のサイトでもリンクに関するこのような注意書きを見かけるが、私の GNR のように全くの個人サイトでリンクなんぞお好きにどうぞ、とはいかないのはサイト管理者の思い一つなので、分からんでもないが著作権と同様にリンクに関して注文をつけるのは Web に晒す時点で何か矛盾を感じる。私などは『リンクフリーです』と書くこと自体が当たり前すぎでそもそもおかしいと思っているが明記しないと不安に思われる方がいては、と思って書いているだけである。

    著作権を犯すようなことさえなければ、リンクはフリーが当然ではないかと思う。それがそもそも WWW(Workd Wide Web) だと思っているのだが金が関わると。。。難しい時代である。

    24/07/2007

    京急三崎口駅

    京浜急行電鉄、通称「京急」は日本で三番目の、また関東では最初に開業した歴史ある電気鉄道である。

    だが、今回はそれ以上別に歴史を追うわけではない。

    現在久里浜線と呼ばれる事実上の本線(正式名称が本線は別にある)のような支線の終端駅について少しだけ触れたい。

    この駅はまさに静かな終着駅と呼ぶにふさわしい、いい感じの静かな駅である。しかもこの駅を含む区間は単線である。あの快特の終点にも関わらずである。

    ところが、実はというか恐らく京急の目論見としてはここが終点ではないらしい。

    写真を見て頂けると一目瞭然であるが、駅より少し先まで道路をくぐって先まで線路が延びている。専門用語で言うところのボックスカルバート(多少不安)により延伸しているのである。

    過日、勢いで「京急八十年史」を購入した私としては、この先どのような計画が存在している(or した)のかを調査してみたいと考えている。

    個人的な全く適当な予測としては現在単線区間でも事足りている状況から、今後同駅周辺の宅地化のさらなる進展等により旅客需要の増大に備えたものであり直ちに延伸するものでないのではないかと想像している。

    そんな現在の長閑な雰囲気をもう一枚の青空の写真で感じて頂きたい。

    なお、京急はかつては都心乗り入れ策としてかつては品川(現在駅とは道路向かいにあった)から青山方面への延伸を計画していたこともある。

    05/03/2007

    東京駅の飾り付き柱

    2008/11/15 GNR - 古レール JR 東日本東海道本線【東京駅】を公開しました。

    東京駅は以前のネタにも取り上げたとおり、大正時代に開業した歴史のある建造物である。

    竣工後関東大震災に見舞われ屋上のドームや屋根の一部が失われたりと受難の歴史も静かに語りつつ、日本の首都を代表する巨大でかつ最新の設備も併せ持つターミナル駅でもある。

    実はこの東京駅で我々が身近に接することのできる開業当時の構造物がある。それは現在京浜東北線南行及び山手線外回りが発着する 5・6 番線の品川方にあるホーム上屋の円柱である。

    都心の駅でホーム上屋の柱で円形のものはなかなか見かけない。

    この柱は『鉄道考古学を歩く』によると、明治 41 年東京堅鉄製作所の製造とのこと。また実際には鋳物工場で有名な埼玉県川口の職人が手がけたそうである。

    写真では分かりにくいが、円柱と梁の鉄骨との接合部分の装飾に職人の技が光っている。

    また、昭和 20 年の空襲でも利用可能な状態で残り若干の手直しで現在も使用され続けているとのことである。

    日本で一番の大都会で明治時代の柱が現役で使用されているとは不思議な感じである。かくいう私も日頃利用している駅にも関わらず書籍を見るまで気が付かなかった。

    最近になって古レールの再利用された構造物を時々鑑賞するようになったが、この円柱も例によってそれに該当する。

    東京駅はまだまだ調査のしがいのある奥の深い建造物である。そろそろ開業当時に姿に復元する工事も始まるだろうし、さらなる調査を行っていきたい。

    『鉄道考古学を歩く』は当ブログの右側の『ブックリスト』の一番下にある(Amazon へのリンク)ので、興味のある方は覗いていって頂きたい。

    または私の Amazon インスタントストアにも掲載しているので(何冊でも)買って頂けると幸いである。

    http://astore.amazon.co.jp/golgodenkablo-22/detail/4533029760/249-4586385-8506724

    28/01/2007

    新橋駅

    2008/08/27 GNR - 古レール JR 東日本東海道本線【新橋駅】を公開しました。

    新橋駅は言わずと知れた鉄道発祥の駅である。と言っても、当時の新橋駅は現在汐留と呼ばれる地域に復刻されている。

    現在の新橋駅は二代目であり、大正 3 年(1914)に東京駅が開業し東海道線の起点とされた時に烏森駅から改称されたものである。

    烏森駅の開業はこれまた古く、明治 42 年(1909)である。

    実は新橋駅にはこの烏森駅として開業した当時使用されていた柱が近年行われたエスカレータ設置工事の関係で記念保存されている。場所は烏森改札口内部のトイレの前である。

    製造は何と明治 41 年(1908)である。おおかた 100 年前である。外観はボキャブラリがないため貧弱な表現だが西洋のモダンな雰囲気たっぷりの渋いものである。

    簡単な説明板もあり、貴重な遺構を屋内に保存していることは非常に好感が持てるがトイレの前であるため何となくじっくり観察がしにくいのが玉にキズと感じている。

    しかし、明治の頃に作られた構造物がまだ残っているというのは鉄道以外の工業製品ではあまり見られないことであり我々一般人が直接目にすることができるという意味では鉄道は近代工業の歴史をたどる上でも好材料ではないだろうか。

    東京という日進月歩の日本一の大都会で、明治時代の遺構を目にするとは意外な発見ではないだろうか。

    以前古レールの再利用についても書いたが、鉄道では意外に古いものが長生きしており目にすることが可能である。

    皆さんも身近にある鉄道構造物が調べてみると実は案外古いものであることを知るかもしれない。

    例えば、東京駅自体も冒頭で触れたとおり大正時代の建築物であり、さらに戦後初めて地下鉄が開通するかなり前から駅前の郵便局との間に郵便洞道と呼ばれる地下トンネル内を電動トロッコで郵便物を運搬していたそうである。

    31/12/2006

    秋葉原駅

    秋葉原はつくばエクスプレスの開業や駅周辺の再開発が一気に進み、雰囲気の変わった感がある。

    毎日多くの人が利用し、一大ターミナルとも言える秋葉原駅ではあるが実は開業当時は貨物駅だったことをご存知だろうか。

    現在の都心の路線はかつてはそれぞれの設立会社が異なることもあり、線路は繋がっていなかった。

    ざっくりというと北日本へのターミナルは上野、千葉方面へは両国、また東海道方面は品川であり甲州方面は現在の飯田橋であった。

    今日の山手線のような環状線は存在しなかったのである。

    都心でのかつての物流の主役は船運であり、川は重要な交通路であった。上野から南に線路を伸ばし神田川に面して設置された秋葉原駅は神田川から船渠と呼ばれる船溜りを駅構内まで掘削し貨物列車との貨物の積み替えの拠点だったのである。

    実は船渠についてはは国土地理院のサイトで終戦直後の航空写真に埋め立てられる前の状態が写っており確認することができる。

    その毎日大量の船が行き来した船渠は概ね現在のヨドバシカメラマルチメディア Akiba のあたりであった。

    昭和通口そばにある小さな公園もその船渠が神田川に接続する部分の名残である。かつて公園の手前の道路の部分は船が下をくぐるため佐久間橋と呼ばれた橋が架かっておりその親柱が付近に保存されている(写真参照)。

    神田川沿いには河岸がたち、大いに賑わっていた事だろう。現在も佐久間河岸などの地名が残っている。

    また、現在再開発により大きなビルの立った電気街口北側の一角はかつて現在大田区に移転した東京神田青果市場もあり秋葉原駅にとっては最大口顧客とも言える存在であった。

    現在はこのような物流の拠点というイメージはほとんど消えうせ世界屈指の電気街となった街の中心にある駅としてさらなる変貌と遂げるのだろう。

    ちなみに、ついにあの駅ビルであるアキハバラデパートは今年いっぱい(明日!!) 55 年の歴史に幕を下ろし閉館となる。

    18/12/2006

    発電床

    東京駅で『発電床』の実験が行われていた。
     
    私の情報ソースはこちら。
     
    スラッシュドット ジャパン  | 東京駅で「発電床」実験開始
     
    これはラッシュ時(だけではないが)自動改札を通過する人間による床マットの振動による発電を行うというもので、丸の内北口で行われていた。仕事で時々ここを通る私は一度だけお目にかかった。
     
    発電自体はうまく動いていたようで、『ただいまの発電量は~KW です。』みたいなことが電光掲示板でリアルタイム表示されていた。
     
    だが、昨日も(仕事)で通りかかったら、実験終了に伴い既に撤去されていたようだ。
     
    単に私が知らないだけだと思うが、JR 東日本には実験結果と今後の方針があれば公表して頂きたい。
     
    個人的には JR ともあろう元官営企業がこのような取り組みを積極的に進めることは印象としては非常にプラスなような気がする。
     
    ただ、現実的には問題がいろいろあると思う。
     
    (ほんとに)ざっと考えてるとこんな感じだろうか。
     
    1. 発電効率
    2. 設置費用等のコスト

    発電効率に関してはかなり厳しいと思われる。以前ノート PC のキーボードの打撃により発電する研究という記事を見た記憶があるが、やはり発電量が少なくその後どうなったか音沙汰なしである。

    この発電床も同様に発電量がかなり少ないようであるため、発電しても用途が限られるのではないだろうか。

    また、費用に関しても発電量との費用対効果や設置後の維持管理費等を考えるとより多くの駅に設置して巨額の費用をかけてちょこっとしか発電できないとなるとエコロジーなのかお金の無駄遣いなのか分からなくなる。

    でも。

    ここで、ここで某大学の機械工学科を中退した私に案がある。それは、改札ではなく『階段』に発電床を設置できないだろうか。

    位置エネルギーがより大きいため、同数の通過人数でもより多くの発電量を得られないだろうか。

    ただ、実装には以下のような問題がいろいろと(以下略

    あとは、エスカレータに回生モータを付けたり(以下略

    なんかいい案はないだろうか。

    15/11/2006

    東京駅の豆知識

    東京駅はもはや説明不要の日本を代表するターミナル駅である。しかし、実は大正時代に建造されていることは意外に知られていない事実ではないだろうか。

    何となく古そうだなぁと思うことはあっても日本を代表するこの駅がいつどのような経緯で設置されたのか、社会科の教科書で習うわけでもなく知ろうとしなければ知り得ないと思う。

    とか言ってる私も詳細は把握できていない。

    実は、東京駅には一般人の通行できない通路がいくつか存在するとのこと。

    どこにどんな通路が何本あるかとかの正確な情報は持ち合わせていないし情報のソースも度忘れしてしまったが、それらの通路のうち特に印象に残っているのが郵便輸送用のトロッコ(だったかな?)線跡である。

    はぁ? と思うかも知れないが、東京駅の丸の内側には東京中央局という大きな郵便局がある。

    ちょっと考えて頂きたいがこのような都会のど真ん中にこんな巨大な郵便局があることは意外ではないだろうか。近年の民間も含めての物流拠点は交通の便の良い郊外や港湾地区にある場合が多い。

    なのに、ここは皇居のすぐそば東京のど真ん中である。

    思うにかつて物流の主役は鉄道であった名残ではないだろうか。つまり全国各地からの郵便の集配を鉄道で捌くための立地ではなかったのだろうか。だからこそ、郵便輸送用の通路が東京駅との間に作られていたのである。

    もう一度思い出して頂きたい。東京駅は大正時代に開業しているのである。この通路が開業当時からあったかどうかは別にして。

    情報のソースを再確認できていないので東京駅及び東京中央局内にどのような今となっては知られざるものがかつてあり、どれだけそれらの遺構が残されているのかいないのか、非常に悔しいが分からない。

    ただ、何らかの遺構があるにしても我々一般ピーポーはとうていお目にかかることはできないだろう。

    でも、見たい。

    現在情報収集中であるが情報をお持ちの方はいらっしゃるだろうか。

    少し前になるが、さいたま市に移転することになって閉館となった秋葉原の交通博物館のあの場所のすぐ脇(というか直結だが)はかつて『万世橋駅』という駅であった。

    博物館内部にも駅の遺構があり、普通に見られる場所と閉館記念に一般公開された(もちろん見た)部分とあった。

    このように我々が普段目にするものはほんの一部であり、目の前にあっても知らないことのほうが多いのではないかと思い私は『8・2の法則』と勝手に名づけている。

    大都会東京はこのように知らないことが特盛りつゆだく玉って感じではないだろうか。